飯盛山から六甲山脈方面を眺める。大阪のキタのビル群も見える。眺望が効くので、いかにもここが軍事の拠点になったということがよく分かる眺めだ。
ただし、三好長慶がいた16世紀の飯盛城からの眺めは、今とは違っていたであろう。大阪キタのビル群はもちろんなかった。眼下の建築物の群もなかったであろう。緑地帯のあたりは大きな池や沼があったであろう。キタの舟乗り場から、この飯盛山の麓の野崎まで、舟の便が野崎まいりに供された。大東市に工場が建ち並ぶようになってからでも、なんと昭和10年代まで舟便が利用されていたという。