小野という地名(柳田國男『地名の研究』)

 前回に紹介した柳田國男の『地名の研究』(定本第20巻)の「野」についての記述の続きに、「小野」という地名について記している。「野」は緩傾斜地を表す日本語であるが、それだけではなく、谷、沢といったような地形についても野という名称を与えたと柳田は言う。

 「大野は久しい間開き得なかったので地名になったのかも知らぬが、是に対立する小野という地形こそ、最も移住民の落着いて開き易いものであった。小野は全日本に最も弘く分布して居る地名であって、其起りには新舊の二通りあつて、東北地方のものは或ひは新しい方かとも思ふが中央部以西には古い小野が多い。周防と長門との境などに行つてみると他地方で澤と呼び谷といふものが皆小野になって居る。それから近畿地方、殊に山城の京の周圍にも小野は幾つかある。近江と接した山間部の小野は、始めて支那に使したといふ小野妹子の子孫が住んで居た。是だけは或ひは家名がもとで、地名は之に因つて起こつたやうにも考へて居る人があらうが、少なくとも地形は他の諸國と小野と一致して居る。こゝに住んだ小野氏は珍しい家の歴史を持つて居た。記録と現實との共に示す所では、此家の末流には隣郷に住んで居た猿女氏と縁組して、宗教生活に入つて行つた者が多かつた。それが故郷を出て南北の邊土まで漂流し、一種の神道を説きあるいて到る處に神を祭つたのが、今も諸國の御社の祠官に、小野といふ舊家の多くある原因になつて居る。さうして武蔵七黨の横山氏を始め、是から分れて繁栄した家も少なからず、一方には又日本の民間文藝に、一種美麗なる色彩を帶びさせることにもなつたことは、私が前年以来大なる興味を以て説き立てゝ居る所であるが、是にも又「ノ」という地形の人生と交渉をもつた痕跡が、可なり濃厚に殘り傳わつて居るのである」(42~43頁)。

 小野はたしかにあちらこちらで見かける地名である。「この」と読ませる地方もある。この文中にでてくる小野妹子の里は上の文章では京都のほうともとれるが、滋賀県大津市の小野(琵琶湖大橋の北)が小野氏の本拠とネットでは紹介されている。小野神社もある。周山街道京北町へと行く途中に小野という地名がある。ここは谷間と言ったほうが良いようなところである。「野」がついた地名を京都の北で拾うと、大原の上野、京福電鉄の駅がある木野、上賀茂神社の北にある柊野、上高野と野瀬町、ここに、小野町、小野神社があるので、柳田はここらへんを想いうかべて「近江と接した山間部の小野」と言っていたのか、判然としない。この引用文の後半部については、神官に小野氏が多いなどとは私はわからないが、今まで聞いたこともないので何かの参考になるかと、そのままあげておいた。上記での京都での地名の「野」がついたところは、柳田のいう言葉の意味の条件にあっているところである。ともかく、「野」という言葉が付随した地名に遭遇したとき、地形を思いうかべてその場所を眺めるとよいということだ。