近江にある小野妹子墓とされる唐臼山古墳のほかに、大阪府南河内郡太子町にも小野妹子墓がある。「太子」町だから聖徳太子にまつわる遺跡もたくさん残っている土地柄である。科長神社に向かって右側、南側にかなり長い石段があって、この上に小野妹子の墓がある。
お墓があるところは石垣で囲まれている。お墓は土盛をした円墳状になっている。
訪れたときは、まったく人がいなくて、また大阪のみどり百選に選ばれているところだけあって、緑地の印象が強い。高台にあって、背後には畑地があるのだろうか草刈り機の音が響いていた。
お墓への途中に石碑がたっている。池坊の名前があるので、華道の池坊がたてたとわかる。池坊は小野妹子を華道の祖とし、この墓前で祭礼もしている。
ただし、石碑は大正時代に建てられたもの。ほかにはあまりみあたらない。墓前に石文がみえるが、中には入れないので、よくわからない。写真は撮れなかったので、一礼して帰ってきた。とにかく鮮明には写らなかったのだ。
小野妹子のお墓に行くときもこの前を通る。科長神社への入口。たいへん立派な構えの神社である。風の神が主神として祀ってある。もとは二上山の上にあったという。
境内のあちらこちらには「八社宮」と刻んだ灯籠が立てられている。主神だけではなく、八つの神をともに祀っているので八社宮と呼ばれていたようだ。
大阪方面から車で来ると、「竹内街道」という標識、アップダウンする地形、水田と畑、点在する家屋、山麓にある神社、といったものが目にはいる。古い時代から、この地を選んで住んできたのだろうな、という感慨が起こってくる、そういった土地の印象を受ける。