景観への意識(樋口忠彦『日本の景観』)

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樋口忠彦『日本の景観』春秋社

 これは昭和56年10月発行、樋口忠彦の景観論。副題に「ふるさとの原型」とついている。現在では文庫本もでているようだ(未見ですが)。景観論の名著と言われるようになっているのではないかと推測する。この本を古書店でみつけて、はじめて読み、いままでもやもやとしていたところがすっきりと説明してあると感じたからだ。そのもやもやは何かというと、日本文化論のなかに日本文化の特性を説明しようとして、和辻哲郎『風土』における「風土」概念をあげたり、上山春平他の「照葉樹林論」をとりあげたり、梅棹忠夫の生態史観がとりあげられたりしてきた。それぞれの議論は、いずれもするどく日本文化の特性を説明する議論となっているのであるが、それでもそれぞれの論で、なにか物足りないという思いが拭えなかった。

 なぜかというと、議論の枠組が少し大きすぎるのではないか、という疑問がつねに私のこころのなかに伏在していたからであろう。そのような「もやもや感」を抱いていた私からすると、樋口の本を読んだとき、すっきり、明快に日本の景観の特徴を説明する理論構成を提出しているように思われたのである。この場合の焦点は「景観」である。「風土」「樹林帯」「生態系」ではない。これらのなかに人間が入り込んでいるのはたしかだが、それぞれの概念と人間との交渉関係がたがいに異なる。景観はそれを見たときの見た目、人間の景観にたいする意識、景観と意識との交渉関係が問題である。ここに立脚して日本の景観の特徴を、樋口は見事に分析していると思ったのである。景観は等身大の人間が、その景観に向かい、その景観にたいする価値観を含む。今日の「景観問題」への示唆を含有する視点がここにはあると思った。