惣社水分神社へは古市場の中社から166号線を車で走り、途中で県道31号線に入り、山間の道を上流へと走る。山麓に民家があり、田畑がその前に広がるという典型的な農村風景が展開する。山間の間が縮まってきたなと思うころ惣社水分神社(宇陀市菟田野上芳野)に到着する。
この案内板(書)には、「宇陀」(宇太)水分神社、「上の宮」(上社)、速秋津比古(「姫」と記しているサイトもある)、本殿は大正二年に八幡宮(明治2年建築)を当社の本殿としたもの、彫刻は幕末の名工安本亀八の作であること、拝殿は昭和五十一年の改新築であること、等の重要な情報が書いてある。
鳥居を入ると鳳輦みこしの説明がある。南北朝時代のもので、これはたいへん古いものである。屋根は照り起り(てりむくり)の形である。秋の祭りのときにこの神輿の「お渡り」がある。
手水場から少し上がって左手に御神水分処というのがあって、水を流すようになっている。水を汲みにくる人もいるのだろうか。
拝殿は新しいものだなと一見してわかる。また正面の光が強く(LEDか?)、昼でもこれくらいの光量だから、夜に来るとどんな具合だろうか?
本殿は流造りのようであるが、柱の上に屋根を支える組物(斗供)がある。蟇股もあり、仏教建築の様式が入っている。鳥居のところの案内板には幕末の作とされている。懸魚のところは木の枝でよく見えない。ここは双眼鏡持参で見るべきだった。
宝物庫の前には瓶子の説明もあるが、これは省略して狛犬の写真を載せる。迫力のある狛犬。
水分神社の石段下りのところから向かいの山を見る。山が迫ってきているのがよく分かる。
芳野川の上流方向を見るとこんな感じの風景。奥の山も近く、もう峠も近いだろうと予測できる。
芳野川は、宇陀川と合流し、名張川となって、木津川へ入る。木津川は淀川となる。ということは、淀川の源流のひとつということになる。この神社は大和の国の水分神社として祀られたものであるが、水の流れからすると摂津の国、とくに大阪の人がおかげをこうむる水の神としてお参りをすべき神社であろう。