吉野水分神社の「由緒沿革」。別名「子守宮」とあるのは「みくまり」が「おこもり」「こもり」と変化し、子どもを護る神、子どもを授かる神としての信仰がひろまってのこと、とある。豊臣秀吉が花見の際、ここに祈願し、秀頼をさずかったことから、「子守神」として一層信仰されるようになった。
神門を入り、境内の左手。
右手に社殿が三つ並び、その真ん中が吉野水分神社社殿。「天之水分神」が祀ってある。左手と右手の祀られている神は、「由緒沿革」にある通り。これは他の水分神社とは違った神も祀ってある。
境内の奥には立派な枝垂れ桜の大木がある。はじめてここに来たときは、この桜が満開のときでそれは見事であった。一般に見かける「ソメイヨシノ」とはまったく異なる吉野桜だという印象を受けた。
ちなみに「ソメイヨシノ」の「ヨシノ」(吉野)は名前だけです。吉野桜は「ソメイヨシノ」(染井吉野」とは違う品種なので混同しないように注意することが必要です。
鳥居のところから、門前を眺めるとこのように見える。吉野水分神社は尾根に立地しており、両側は谷となっている。門前町の両側も家の後ろは谷となっている。今まで見てきた大和の四つの水分神社と違って、神社の近くから棚田や畑が連なっているという風景ではない。「水」の「分かれ」という意味での水分(みずわけ)の場所に建てられている。現在地は両方向に水が分かれる尾根に立地しているが、更に昔は別の場所に立地しており、三方向に水が流れるところだったようだ。
この水がどこへ流れるかというと結局のところ吉野川へと流れ、吉野川は紀ノ川と名前を変え、和歌山へと流れ海へはいる。大和の国の水分神社として祀られたというが、なんと紀ノ国へと水は流れる。あれ? まあ! ですね。