雁多尾畑という地名

 雁多尾畑は「かりんどおばた」で、ワープロの辞書ではでてくる。地名がワープロの辞書に入っているらしい。「かりんど」だけではこの漢字は出てこない。
 さて、雁多尾畑は大阪の地名のなかで難読地名のひとつになっていると思われる。なぜこのような地名と読みになったのだろうかと気になった。ネットで調べても説得的な説はそれほどないようだ。図書館で調べようとしても残念ながらコロナ感染症のために図書館は閉鎖されている。仕方がないので、そして気にもなるので、こんなところかなと推測してみたものを書き記しておく。もちろん勝手な推測なので根拠は薄い。現地を歩いてみて、光徳寺とどんどの滝のところを見て、考えてみただけの話である。さらに正しそうな説があればそれで修正すれば良いだろう。
 山路を下りながら、こう考えた。
 山路とは、雁多尾畑から大阪側(西方)への下りの帰り道である。
まずは雁多尾畑の松谷御堂光徳寺門前にある案内板の記述が役にたつ。そこには1113年の南都北嶺の戦いで七堂伽藍が消失し、ただ雁林堂(がんりんどう)一宇のみが残った。これが雁多尾畑(かりんどうばた)の地名の由来である、と書かれている。ルビがふられていて、「がんりんどう」から「かりんどうばた」という地名がでてきたとある。読みが少し変化しているのがわかる。
 「雁林堂」が「がんりんどう」と読まれるのはわかる。この読み方が変化して「がりんどう」となったことも考えられる。かつて京都にあった天台宗の寺に雲林院というのがある。「うりんいん」と読む。「うんりんいん」とも読んだらしいが。天台宗というのは光徳寺の元の宗派と同じである。だから同じように、というのは強引かもしれないが、「ん」が抜けて「がりんどう」「うりんいん」となったことも考えられる。
 つぎに「がりんどう」となった地名に「ばた」(畑)がつく。これが光徳寺の案内板の説明である。最初、よそ者の私は、雁多尾畑を「雁多」・「尾畑」と二つに切って理解しようとしていた。日本で地名をつけるときは漢字二文字で、できるだけめでたい地名をつけるという原則にせよというお触れがたしか平安時代のはじめだったかにあって、例外はいくつもあるがおおよそ漢字二文字でなりたっている地名が日本には多い。こんなことは普段は意識はしないが、なんとなく地名はそれらしきものと理解しているようで、「尾畑」と思い込んでいた。ところが、雁多尾畑の周辺の地図をながめていて、「畑」と名づけられた地名が多いことに気づいた。いずれも生駒山系の高地にある地名である。そこで雁多尾畑は「雁多」・「尾畑」ではなく、「雁多尾」・「畑」であると知った。これが「かりんどう・ばた」の地名の由来であると光徳寺の案内板に書いてある理由である。
 その次ぎに問題となるのは寺の案内板には「かりんどう」とあることだ。「どう」はお堂の堂だから「どう」。地名の元もとの由来ははお堂があったから「どう」ということであろう。
 「堂」は歴史的仮名遣いでは「だう」。現代かなづかいでは「ドウ」となる。
ただし、この発音も私が山路を下ったところにある地名の「安堂」を「あんど」と聞いたように「かりんど」となり、通称で「かりんど」と言って通用したのではないだろうか。そして「かりんどの至福堂」(石柱)、「かりんど」・「ばた」とルビを離して書いてある「どんどの滝」の説明板のように「かりんど」という呼称が地元では一般的になったのであろう。この場合には「う」を明瞭にひとつの文字として発音はしない。土佐の人間なら一文字ごとの明瞭発音をするかもしれないが、ここは土佐ではないから。
 あと「雁林堂」の「雁」が「がん」ではなく「かり」となっていること。「雁」の漢音は「ガン」。「かり」は漢字「雁」の字義であり和語。漢字で表記された「雁」は、「ガン」でも理解できるし、「かり」でも理解できる。意味のレベルで同一。したがって表意文字の漢字「雁」を見て、「ガン」から「かり」へと音を移しても字を理解することができる。そこで「かりんど」を「雁戸」と漢字で表して読み下すこともできる。この場合には、より「かりんど」と呼び易い。しかし漢語の「雁戸」(ガンコ)にはあまりよろしくない意味があった。雁戸とは、「ところ定めず移動する家。また流浪する民。渡り鳥のように移り住むからという」(『漢語林』)という意味である。これを地名につけるのはこの漢字の意味を知っている者にとってはよろしくない。そこで雁という渡りをするために群れをなして飛ぶ鳥だから多に尾をつけて、しかも音を「たお」「だお」とも当てることもできるから「堂」を連想させる(漢字としての音、歴史的かなづかいとしては一貫しないけれど)。地元民が「かりんど」の「畑」と呼んでいるものに元の雁林堂を思い起こさせるから、雁多尾・畑となったのだろうか? かくして地名は難読化して行く。
 山を越える雁が多かったからという説もありそうな話である。雁多尾畑はいまでも生駒の山を雁が越えていくルートなのかもしれない(知りませんが)。
 むかし、山梨県側から雁ヶ腹摺峠(~山)という高い峠を越えて奥多摩へと抜ける道をときどき通ったことがある。雁が腹を摺るようにして山を越していくから、山の峠にこのような名称がついたと聞いたことがある。雁林堂という堂宇の名前が雁が多く山を越えて行くから名づけられたというのなら風流な命名だと思う。「林」には多くの同類のものという意味がある。なお雁には鳫、鴈という字も使われることがあるが、雁でよいだろう。鴈には別の意味(あひる、にせ=贋)もある。
 現地を歩いているとき数分おきに頭上を飛行機が轟音をたてて飛んでいった。おそらく伊丹空港へと着陸する飛行機のルートになっているのだろう。着陸に備えて高度を下げているからジェット機の轟音には、雁の音のような風流さはない。雁に代わって、いまなら飛行多尾畑(中国語では飛行機は飛機feījī [簡体字ではなく日本語での漢字です])とでもなるだろうか。このばあい、「尾」は尾翼の尾となる。
 よそ者が勝手なことを言ったが(すみません)、難読地名であるけれども風流な地名でもあると思ったからである。なんとかゲートウェイなどという命名よりはるかに良い命名の地名であるのはまちがいない。