藤原惺窩生誕地(三木市細川町)

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藤原惺窩銅像

 三木市に藤原惺窩の生誕地があるということは知っていた。今は道もすいているかなと、行ってみた。道はすいていた。

 なにかで、公園のなかにあるなどと書いてあった記憶と街中だろうという思い込みとは違って、農村風景がひろがっている場所にあった。行って実際に見てみるものだ。

 場所は三木市細川町。これより詳しい情報もあるが、(私の)車のナビでは出てこないので、だいたいのところを指示して、現地で探すことにした。県道20、85号線を走っていると指示板を見落とさなければ、それで場所はわかる。

 藤原惺窩の銅像は儒服を着ている。儒教は日本の古代から伝わっていて、室町時代には臨済宗五山の僧により研究もされていた。仏教僧なら仏教の僧服となるのだが、惺窩は仏教から独立した学問的立場を表すために儒服を着た。上の銅像はその象徴でもある。

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藤原惺窩生い立ち

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藤原惺窩ゆかりの冷泉家

 銅像がある「公園」には、「生い立ち」と「冷泉家」についての案内板があって、これでおおよそのことはわかるようになっている。おおよそというより相当詳しい内容である。

 惺窩の家系は「下冷泉家」の家系であり、また藤原定家という歌人にもつながる血統であることなどが案内板からわかる。

 細川町という名称も、もとは細川荘という荘園の名からきている。これも、現地に来てみて「古く」からの土地であろう思われる農村の景観が拡がっている。「~荘」という兵庫県の別の「荘園」だったところと景観がなんとなく似ているのである。

 土地がうねるように拡がっているあいだの低地に川(美嚢川)が流れ、低い山が川の両側にある。山の麓に家々が点在しているという景観。まずはこの景観に目を奪われた。

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石積み

 生誕地の公園の端にこのような石を集めた石積みがある。もとはここに家があってそこにあった石を寄せ集めたものだろうか。なにだかわからない。案内板に書かれているように、惺窩の父は急襲にあって殺害されてしまった。そのせいもあって、惺窩の一家はこの地を離れざるを得なくなった。時は戦国時代。

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落ち椿