須賀敦子『ユルスナールの靴』

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須賀敦子ユルスナールの靴』

 前回に布ゾウリについて書いて、なんとなく須賀敦子の『ユルスナールの靴』を思い出した。須賀敦子の本はいくつか持っているし、そのほとんどは読んだが、どういうわけかこの本だけは持っているものの、未読だった。ただし、「プロローグ」の冒頭の文章だけは印象に残っていた。

 「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」

 ゾウリから靴へと連想が飛んだわけだが、須賀敦子はプロローグで小さいときから大学生になるころまで、ぴったりと自分に合った靴を履いていなかったということを書いていた。じつは靴だけでなく、履き物を列挙している。

 

 下駄
 ゴム靴
 黒いエナメルの、横でパチンと留める靴
 通学靴
 上靴
 赤い鼻緒の大きなゾウリ
 シスターたちの履いている靴
 父が履いている靴・・・銀座の靴屋であつらえていた。
 サメの皮の靴
 銀座の裏通りで父に買ってもらったオーストラリア製の靴。寄宿舎で箱ごと戸棚から消えていた。
 神戸で見た赤いサンダル。(「赤い靴」と言い直している)

 

 須賀は、履き物を思い返して「シスターたちの履いている靴」に「高貴さ」を見て取り、あこがれたことを記している。

 父から買ってもらった外国製の靴は箱ごとなくなった。

 似たような体験は私にもある。はじめて原稿料がはいり、欲しかった登山靴を買った。靴がなじんできたころ、下宿先の玄関を改装するというので、下駄箱から出して玄関先に並べておいたら、帰るとなくなっていた。皮の登山靴だったのでショックは大きかった。あれならどこの山でも歩けたのに。

 戦前、戦中に少女時代を送った須賀の世代だから、下駄もゾウリも登場する。赤い鼻緒のゾウリは罰則として履かされいた。

 革靴には縁遠い生活を送っていたのは戦後世代も同様だが、「きっちりあった靴さえあれば」どこまでも歩けるはずだ、という認識を得ることがそもそも縁遠かったのかもしれない。