生駒山中にあった雙龍庵の禅那台は、河内の長栄寺に移築されて残っている。長栄寺は慈雲尊者が若いときに住職だった寺である。禅那台がまだ残っていると知り、ぜひとも外観だけでも見たいと長栄寺へ。近鉄線で河内永和という駅で下車。改札を出て北側の細い道の向こう側に神社が見える。
入口に東大阪市の説明板がある。昔は八幡社とも呼ばれていたようだ。高井田庄にあるので「高井田」神社とまちがいそうになるが、「井」がない「高田」神社。境内に石板に刻んだ長文の由緒書きもあるが、解読困難。早々に読むのをあきらめる。もう少し読めるようにしてほしい。
この右手の道を進み神社境内の外に出ると、長栄寺の門前に至る。神社と寺が隣あっている。
長栄寺の「いりぐち」。寺の門はこの中の左手にあって石の仁王像が左右にある。
簡潔な府と市の教育委員会の案内板がある。禅那台が移築され「厳存」しているとあるが、この門前から境内を見渡しても、見当たらない。茅葺きの屋根がのっている建物のはずだと、本堂の左手に墓地があるのでそちらの方向にゆき、本堂の裏手にまわるとそれらしき建物が見える。墓地のなかを通り抜ける。
禅那台の説明板があって、内部構造の図もある。これを見ると、中心の禅室は二畳。禅室に加えて一畳+一畳の間があり、四方を三尺一寸の縁がある。大きさは二間半四方の入母屋造り。だいたい全体で八畳間くらいの大きさの建物に屋根をかけたくらいだろうか。説明板には「すまい」とある。炉が切ってあるとはいえ、ここで生活するのはちょっと?と思わせる大きさで、おそらく座禅や勉学、執筆の場として使っていたのではないだろうか。そういう意味での「すまい」であろう。西側に円窓があり、そこから大阪湾、淡路島も見えたというから、小さくて狭いながらも不必要なものをそぎ落とした理想的な書斎であったと思う。
本堂の前に慈雲尊者像がある。(同じ銅像が、南河内の高貴寺にもある。)
銅像のとなりに慈雲尊者の略年譜がある。この略年譜で慈雲尊者のおおよその事蹟はわかるだろう。