法楽寺(大阪市東住吉区)

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法楽寺門前

 享保15年(1730)、平次郎(のちの慈雲尊者)13歳のとき、父の上月安範が亡くなった。行年66歳。このこともあってか、この年の11月に、平次郎は大阪の田辺の法楽寺で忍綱貞紀和上に従って出家した。しかし、朱子学儒者の講釈を聞いていたせいか、仏教にたいしてはよからぬ気持ちを抱いていたようだ。「出家するも、十年後には還俗して仏法を破斥せん」との思いを抱いていたらしい。

 この思いは法楽寺で学ぶにつれて改心し、仏道に邁進するようになった。

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法楽寺山門

 法楽寺山門の内に三重塔が見える。この山門と奥の本堂は宇陀松山の織田家の殿舎を移築したものと案内に書かれている。しばらく前に宇陀松山に行ったことがあるので、ここにつながりがあったのかと驚いた。

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法楽寺略縁起(案内板)

 この案内板に縁起が書いてあるので、要点はわかる。平重盛のときの創設。だから最初の写真にある「小松院」という名称が付されているということ。慈雲尊者の名はこの案内の最後のほうに出てくる。

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法楽寺伽藍配置図

 まだ門前にいる。