阿倍野のビルが向こう側に見える。池には蓮がびっしり、ここはなんだか東京上野の不忍池のようだ。
さきほどのところから少し行くと橋があって、向こう側に神社がある。
鳥居のところには「股ヶ池」明神の名称が。今の地図では池の名称に「桃」の字が使われているが、「股」や「百」という字も使われていた。神社の由来はこの塚のような上の建物のところ、さらにそこを過ぎてこの奥のところにびっしりと字をつらねた説明文が張り出してある。字が小さいのと、説明文の表にビニールが貼ってあって(防水のためだろう)、そのビニールが光って読みにくい。写真に撮ったが、まだましなものを出しておこう。
なんとか読めるようです。
由来の話は聖徳太子にまで遡るようなので、たいへん古い歴史をもっている。神様もいろんな神様が重層的に祀られているようだ。
ウキペディアには神社本庁の神社ではないから、神社とは認められないなどと書いてあるが、神社本庁は1946年(戦後)の国家神道解体のあとに設立された団体なので、ある意味で「新しい」神道団体を神道の神社としている。股ヶ池明神は、むしろそれ以前の推古の時代(聖徳太子)からの信心の形態を伝えている貴重な神社だと思われる。
股ヶ池明神があるところの遠景。楠の大木が境内と建物を覆っている。こちら側の池には蓮はない。池は昔は田畠への用水として使われていたようだが、浅くてすぐに水がなくなったという説明もあった。股ぐらいの深さしかないので「股ヶ池」という説が記されている。ただ、池がいくつもあって、その面積は広い。