住吉大社へ

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住吉公園駅

 住吉公園から南海電車のガード下をくぐり、住吉大社の方へ歩く。これは阪堺電軌上町線の住吉公園駅。駅と道路を挟んだ反対側に案内板がある。

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住友燈籠の案内板

 はじめのところに長峡(ながお)という地名がでてくるが、南海電車阪堺電軌阪堺線の間の土地に長峡町の名が付いている。この案内板が建てられているところ。ここには住友家のことと、住友家と銅精錬の関わり、「住友燈籠」が住友家から寄進されたことが書かれている。

 住友家の祖は、柴田勝家に仕えた武士だそうだ。京都では富士屋を名乗っていた。義兄の蘇我理右衛門は和泉出身で銅の精錬技術を習得し、京都で開業した。理右衛門の子の理兵衛が叔父の養子となり、住友友持を名乗り、銅の精錬、貿易を行う泉屋を創立、大阪の淡路町に吹所を設け、本拠を大坂淡路町に置き、銅の商いを始めた。(『大阪市の歴史』創元社

 元禄3年に別子銅山が発見され、銅の採掘権を住友が獲得した。この別子銅山が住友の経営の柱となる。住友家は両替商もいとなみ、幕府、諸大名と密接な関係をもった。

 この結果大きな経済基盤を住友家は築き、ここ住吉大社にも「住吉燈籠」をのこすことになった。

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住吉燈籠

 案内板を読んで住吉大社のほうへ歩くと、さらに大きな燈籠を眼にすることになる。

 まずは住吉大社の正面。

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住吉大社の正面

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住吉大社」石柱

 この石柱は堂々としています。また正面からの写真に見えるように、燈籠が「大きい」。