住吉大社の御文庫の左手の門を入り御文庫の側面を見る。
必ずしも大きい建物とはいえないが、蔵作りで火に強いと思われる。八角形の窓が目にとまる。
御文庫のすぐとなりに「古札納所」と「住吉神宮寺跡」の石碑がある。
この石碑のところをみると後の塀にかこわれた林が神宮寺の跡かと思ってしまいそうだが、これは住吉神宮寺の境内があったところの入口あたりになると受けとったほうがよいようだ。
昔の「摂津名所図会」を見ると、このあたりから奥のほうにある種貸社のあたりに広い空き地がある。この地点からすると種貸社のさらに奥のほうに大海神社があるが、そその手前までが元の住吉神宮寺の境内になる。いま残っている空き地は神宮寺の一部ということ。あたらしい建物も建てられているから、寺の跡とはみえない。
塀に沿って歩いていって、広場の向こうの「離れた」ところに新しい神社(種貸社)があるなと見えるのは、そのせいだとあとで知った。一種ぜいたくな空間の使い方なのだが、これは今の京都御所でも同じで、かつて建物があったところを取り払った結果、広々とした空間が出現した。こういう事情なので、京都御所ほどの広さではないにしても貴重な広い空間を大阪で体験することができるのである。
ついでに「摂津名所図会」をみると、住吉神社の第一本宮の周りだけ四角に囲った塀が見られる。その塀の外に第二~第四本宮がある。四つの本宮の配置は同じ。第一だけが別枠になっているが、第一から第三までは、いずれも同じ経緯で生じた神であるから(底・中・表)、今の本宮(本殿)の配置のほうがよいのではないだろうか。こういうことから,第二と第一本宮のあいだが少し開いているのはそのせいなのかとも思う。