大年神

 『古事記』では、「大年神」は須佐之男命の子である。有名な「須佐之男命の大蛇退治」の話のすぐあとに出てくる。八俣の大蛇を退治して、住むべき宮殿を出雲の国に須賀というところに定める。

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

 これは須賀の宮殿を作ったときに、雲が立ち上った、その様子を歌ったもの。妻籠みにというのは妻と籠もらせるためにということ。そこで須佐之男命は子作りにはげむ。

 (須佐之男命が)「また大山津見神の女(むすめ)、名は神大市比賣(かむおほいちひめ)を娶(めと)して生める子は、大年神(おほとしのかみ)。次に宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」(『古事記岩波文庫、41頁)

 他にも子どもはいるが、「大年神」の前後だけを引用している。

 注に、「大年神」については「年穀を掌る神」とあり、そのすぐあとの「宇迦之御魂神」については「食物の御魂の神。書紀には倉稲魂とある」と。さらに書紀の記述を挙げて、書紀神代上「倉稲魂。此をば宇介能美柂磨(うかのみたま)といふ」と引いている。

 宇迦之御魂神は稲荷の祭神である。稲荷については、「いなり」:稲荷。イナナリ(稲生)の約という。五穀の神、宇迦之御魂を祀ったもの。農耕に関する神で、古くから狐を使いとして信仰する慣わしがあった。中世以降、商工業が発達して貨幣経済が発展するとともに、町人に繁栄をもたらす福徳の神としても厚く信仰された。京都伏見の稲荷神社が最も古く有名。(岩波古語辞典)

 お稲荷さんは、いまはもっぱら商売繁盛の神様のようにあつかわれて、会社の社屋の屋上に赤い鳥居とともに小さな社殿が置いてあったりするが、もとは岩波古語辞典の説明にもあるように「五穀の神」であり、とくに稲の生育を掌る神として祀られていた。「稲なり」の約が稲荷だとされるのも、もっともな理由がある。

 以前に兵庫県の田園地帯を歩いていたら稲荷神社が祀ってあって、そこに「宇迦之御魂」をお祀りしてあると説明書きがあり、そこではじめて宇迦之御魂という神名を知った。『古事記』には、宇迦之御魂はお稲荷さんのことであるとはもちろん書いてない。

 農耕の神から商売の神へと信仰のありさまが変わっているさまは、大年神の信仰の有様が変わっているのと同じ様子になっているのが興味深い。

 『古事記』では、大年神は、大國主命因幡の素兎の話のあとに、もう一度登場する。そして「年」と名の付いた神が幾つか登場するのである。