大年神については、前回のブログで触れたが、大年神の子どもについては、『古事記』の「大國主神」のところのうしろのほうで触れられている。(古事記の項目は岩波文庫校注者の倉野憲司による)
大年神には、次々と子どもができ、またその子どもが子どもをつくる。このようにして「大年神の神裔」(岩波文庫見出し)が数多く登場する。
「上の件の大年神の子、大國御魂神以下(よりしも)、大土神以前(よりさき)は、併せて、十六神(とをまりむはしら)」。途中の神々をいちいち挙げるのをやめて「十六神」いる。
またそこに登場する羽山戸神が生ませた神々は、「上の件の羽山の子以下(よりしも)、若室葛根(わかむろつなね)以前(よりさき)は、併せて八神(やつはしら)」とあり八神がいる。これらは大年神からみて孫にあたる神々である。
これらの神々のなかには、大津坂本の日枝神社の神や、京都葛野の松尾神社に祀られている神も登場する。これらは滋賀、京都の人にとってはなじみの深い神社である。
上記の大年神の神裔のなかで「年」の文字をつかった名の神がいくつかいるので、それを挙げてみる。大年神の子どもの神のなかに「御年神」(みとしのかみ)というものがいる。(注)に、「大年神、後の若年神と同じく、年穀を掌る神。祈年祭の祭神の一」とある。
羽山戸神の子どもには、「若年神」(わかとしのかみ)、「久久年神」(くくとしのかみ)という神がある。(注)に「久久年神」というのは、年穀の茎の成長を掌る神とある。若年神には注がついていないが、「年」という漢字がつかってある神名はいずれも年穀に関係する神(穀物の神)と見てよいだろう。「年」という漢字はもともと穀物に関係した文字であるからだ。