西国街道、春日神社(大阪府茨木市豊川1丁目)

新鍛冶屋橋北詰

 西国街道の椿の本陣(郡山本陣)から西へ歩いてくるとここに到達する。阪急バスを利用する人は郡山団地行きバスに鍛治屋橋までというのがあるので終点まで乗って少し戻るとここに来る。勝尾寺川にかかっている橋である。この橋のところから西に西国街道を歩くとすぐに春日神社の入り口に到達する。

春日神社(豊川)

 春日神社の入り口。豊川1丁目。灯籠のそばに児童遊園があって、遊具がいくるか置いてある。児童はいなかった。この日は快晴で、桜は満開。民家のそばに見事な桜が咲いていた。

豊川春日神社近くの桜1

民家のそばの桜2

春日神社近くの桜3

春日神社鳥居

 茨木市には春日神社はたくさんある。古代にはこの一帯に藤原氏の勢力がつよかったということによる。たくさんある春日神社のなかでも大きなほうだろう。

石段の上から集落を見る

 川を渡り、鳥居をくぐると石段がある。その上から西国街道沿いの集落をみたところ。その先には国道171号線が走っている。

春日神社境内

 境内は思いがけず広くて山のほうに向かって歩く。

戦艦の「絵馬」

 軍艦那智の奉納「絵馬」が掲げてあった。昭和4年8月とある。昭和4年は1929年。同年の10月にニューヨーク株式市場で大暴落があり、世界恐慌へ突入した。その直前に奉納されている。その前年の1928年には、満州奉天の近くで張作霖爆殺事件があった。関東軍の河本大作らが仕掛けたものとされている。陸軍の力が政治の世界でも強くなって、このあと1941年には太平洋戦争となるのだが、陸軍に対して海軍もその力を誇示しようとしていた時期の記録としてこの軍艦那智の「絵馬」を見ることもできるのではないだろうか。こういうところで思いがけないものを見てしまったとう感じがした。

春日神社本殿

 賽銭箱は扉のなかにあるのか、わからない。扉の外にはない。ほかの神社でも箱ごと持ち去る不届き者がいるという張り紙がしてあったから、その対策だろう。格子から覗いてみたがわからなかった。お参りだけですませた。

豊川学校、他への道標

 西国街道にもどりしばらく歩くと、「豊川学校 勝尾寺 粟生 宿久庄 清水」と沢山の地名を刻んだ石標がある。

勝尾寺川と箕川の合流地点

 さきほどのところから171号線へ出て、しばらく西へ行くと「ぼろ塚」の道標がある。ここからは橋がないので三角州のところへは渡ることができない。