豊川1丁目にある道祖神社(さい・じんじゃ)に道祖神の石像があった(間違いないと思われる)。茨木にもうひとつある道祖神社(どうそ・じんじゃ)が気になったので行ってみることにした。「道祖」と文字は同じだが、読み方が違う。もっとも高浜町にある道祖神社も「さい」と読む人もいる。こちらは案内看板とおりに「どうそ」とする。
高浜町の道祖神社に行くには阪急の南茨木駅から歩くか、阪急茨木市駅から近鉄バスに乗るかである。神社の駐車場はあるが、スチールの車止めがあって、止めることはできない。神社は元茨木川の緑地帯にあるので歩いてゆくほうがいいだろう。南茨木駅から行く。緑地帯に入ると途中で佐和良義神社をも通る。ここを通り抜け、しばらく歩くと道祖神社に着く。
道祖神社は水神社と並んで設置されている。二つの神社名はこのように石碑に刻まれている。
ここには案内板がある。「どうそ・じんじゃ」と読み、「塞神神社」(さいのかみ・じんじゃ)でもあるとの説明がされているので、いわゆる道祖神の信仰に基づいた神社であることがわかる。祭神が猿田毘古とされているのは、豊川の道祖神社で書いたのと同じような事情があったものと推測する。
水神社と道祖神社(道祖社)とは並んでいる。
両方の神社の前には藤棚があって、しかもかなり大きくなっているので、道祖神社のいほうに近づくのにちょっとやっかい。
灯籠には明治12年と刻まれている。案内板に書かれている水神社の遷座の年と合致する。
二つの神社のとなりに「出世地蔵尊」という祠がある。こちらのほうがちょっと目につきやすい。「出世間」ではなく「出世」のほうにこころがひかれる傾向があるのは人間のつねであろう。
境内から南の方向に歩くと道祖神社の「表参道」の石柱と鳥居がある。最初の鳥居はさしずめ裏参道ということになるか。
どこかに道祖神らしきものはないかと見渡してみたが、見つからなかった。古い沢良宜の集落にあった道祖神への信仰がこのようにして残っているということでよしとしよう。もうひとつの水神社も大変気になるが、今回は「道祖」のつながりで来ているので、省略する。ここから一津屋が近いという地理的な感覚があるのが来てみてわかったのが収穫だった。