名神高速道の下から上を見上げる。すきまの向こうに天王山がうっすらと見える。いつもはこの上の拘束道路の右手か左手を走っていて高架の下は見えないが、こうなっているんだとの感慨はある。高速道路があるので、それにあわせて西国街道は曲がっている。
ここまでの西国街道の道は広いので、こんなだったかなあ? という気がしていた。ずっと昔に車で通ったときは、道がせまくて往生した。「JAF Mate」というJAFが出している小雑誌に、日本の狭隘な道3ヶ所の1つにとりあげられていた。ずいぶん昔のことだ。偶然にも、3ヶ所とも車で通ったことがある。いずれも、狭隘な道ですれ違いができなかった。ここへ来て、おお、狭いところも残っているではないか、これぞ大山崎の西国街道と思う。すこしづつ道を拡げるこころみはあるようで側溝には蓋がされている。でも昔の道の面影がままのところが町並みも残っている。
古墳時代のような図が描かれた壁画のある家。案内看板を読むと「和銅」という文字が入っているので、銅、あかがねを扱っている会社のようだ。これは目立つ。どこかの新聞記事でこの壁画と会社のことは読んだ記憶があるが中味は忘れてしまった。
街道を歩いて行くと小泉川と交差する。前方に京都縦貫道の高架がみえる。昔は、といってもつい最近まで、田んぼと畑だったであろう。京都縦貫道まで行くと、調子八角というところだ。
この道路案内板は、基本は車のための案内看板で歩行者のためのものではない。ここで道をまちがった。