2019-01-01から1年間の記事一覧

西行庵(吉野)

道標 西行庵への道を進むと青根ヶ峰への分岐点にさしかかる。道標がいっぱい立っていて西行庵へはどちら方向かと確認する。青根ヶ峰は余裕があれば行こうと思っていたが、帰りの余裕はなかった。 西行庵への道標 石畳が切れるところで西行庵への道標がでてく…

金峯神社(吉野)

{いったんこのブログを書いたのだが、写真が二重になっているミスに気づき、編集、「削除」のボタンを押したら、全部消えた。トホホ。気をとりなおしてもう一度。} 吉野水分神社に行ってから、気になっていた吉野金峯神社へ行ってみようと思ったのだが、天…

大峯奥駈道72靡としての吉野水分神社

大峯奥駈道、道標 吉野水分神社の鳥居の脇にこのような道標がある。「第七十二靡 吉野水分神社」とある。「靡」(なびき)は修験道の行者が奥駈道をたどり修行するときの巡礼地のポイントとなるところ。南の熊野のほうから、北の吉野まで全部で七十五箇所あ…

吉野水分神社

吉野水分神社由緒書き 吉野水分神社の「由緒沿革」。別名「子守宮」とあるのは「みくまり」が「おこもり」「こもり」と変化し、子どもを護る神、子どもを授かる神としての信仰がひろまってのこと、とある。豊臣秀吉が花見の際、ここに祈願し、秀頼をさずかっ…

吉野水分神社へ

いよいよ大和の水分神社、四箇所の最後、吉野水分神社へ行く。由緒書きでは「最後」ではなく、「第一」とあるが、これは訪れた順序で「最後の」神社という意味です。ここへは既に2回訪れている。いずれも桜の時期で、花見が目的だった。中千本を通りすぎて奥…

葛木水分神社の門前村

前回のブログの最後の写真を見ると、鳥居の内側を通して人家が見える。神社の前の門前町ならぬ門前村。人家の数は多くはないので「村」。気になるので行ってみた。 神社門前村からの眺め。御所方面。 数軒の人家の間を過ぎるとこのような眺望が広がる。御所…

葛木水分神社(御所市)

建水分神社から葛木水分神社へ行くには、国道309号線(富田林街道)を通り、水越峠を越える。峠を越えると言ったが、実際にはトンネルをくぐる。地図で見ると、旧道があって、これは峠を越える道であり、その旧道の端っこに葛木水分神社があるようなので、旧…

建水分神社

建水分神社の狛犬は大きい。また形も少し変わっている。どのように変わっているのかは狛犬のマニアではないのでよくわかりませんが。 狛犬(阿) 狛犬(吽) 建水分神社の説明板 この写真では読みづらいですが、本物も字が小さくけっこう読みづらいものがあ…

建水分神社、南木神社

大和の国の四つの水分神社のうち、都祁水分神社と宇太水分神社を訪ねた。つぎは葛木水分神社へということで大阪方面から水越峠を越えるルートをとる。ところでこのルールの途中の南河内には建水分神社がある。奈良側の水分神社とともに、水分神社としては重…

宇陀松山の重伝建地区をもう少し

宇陀松山の「重要伝統的建造物群保存地区」(長い!ということで「重伝建」だろう)をもう少し歩いてみよう。 重伝建地区の配置図 地区の配置図が広場の前に立てられている。この配置図の広場の向こうには旧松山町の役場が残されている。今は大宇陀福祉会館…

宇陀松山へちょっと立ち寄り

菟田野から宇陀松山へは166号線を西へほぼまっすぐにゆくと着く。T字路になっているところに道の駅「宇陀路大宇陀」がある。 道の駅「宇陀路大宇陀」 宇陀市の大宇陀地域に宇陀松山という街があって、重要伝統的建造物群保存地区となっている。「重伝建」地…

香酔峠からの眺め

香酔峠からの眺め 宇陀水分神社の三社へは、都祁から宇陀のほうに峠を越えた。峠の名前は香酔峠というけっこうな名前がついている。近くに香酔山というのがあって、その名はスズランの群落があるからだそうだ。さらに峠の手前に吐山すずらん群落(自生地)と…

惣社水分神社(宇陀水分神社・上社)

惣社水分神社へは古市場の中社から166号線を車で走り、途中で県道31号線に入り、山間の道を上流へと走る。山麓に民家があり、田畑がその前に広がるという典型的な農村風景が展開する。山間の間が縮まってきたなと思うころ惣社水分神社(宇陀市菟田野上芳野)…

宇太水分神社(下社)

宇太水分神社鳥居 宇太水分神社の鳥居です。芳野川沿いに三つある宇太水分神社の下流にありますので、下社と言われています。榛原の下井足(しもいだに)といういうところあります。 宇太水分神社参道から拝殿を見る 鳥居のところを上がると参道が一直線に拝…

宇太水分神社・中社

宇太水分神社は三社あります。川の上流から下流にかけて、通称で上社、中社、下社と呼ばれているようです。まずは、というのはなんですが、ひとが一番行きそうな中社に行ってみました。 宇太水分神社・中社鳥居 写真は、中社の鳥居のなか、境内から門前町の…

御社尾の磐座(都祁山口神社)

社殿右手の池と「御社尾の磐座」指示標 都祁山口神社には磐座がある。「ごしゃお」のいわくらと呼ばれている。社殿の背後からの湧き水の池の縁に、磐座への指示標がたっている。これは見てみようと指示標にしたがって登る。思いのほかきつい。 御社尾の磐座…

都祁山口神社

都祁山口神社鳥居のところからの眺め 都祁山口神社の鳥居をくぐったところから振り返ると手前に水田、遠方に集落が見える。遠方のほう(北方)になだらかに地形が下っている。「野」の風景をここでも見ることができる。日本の景観の原型のような眺め。 都祁…

都祁山口神社への道

都祁山口神社への道 都祁水分神社から都祁山口神社へは、ほぼ南の方向へゆく。小高い山のつらなりが正面に見え、山の麓の台地に集落が見える。集落の奥、山の麓に神社がある。写真にある手前の道は車で通行するのに余裕があるが、集落に入ると道が狭く大型車…

一間社春日造

「一間社春日造」は「いっけんやしろかすがつくり」と読む。 なぜ、「一間」というのかと言うと、井桁の土台の上に4本の丸柱を立てた平面が。方一間(いっけん)であるから。方は正方形の一辺の長さ。要するに正方形の井桁の形に、四つの柱を立てたものの上…

都祁水分神社の社殿

都祁水分神社の周囲の景観を眺めるのが目的といっても、やはり神社の社殿もみておかねばならないだろう。 都祁水分神社へのまっすぐの参道 鳥居をくぐってから社殿までの参道はまっすぐ。両側はヒノキの林となっているが植林されたものでまだそれほど年月が…

都祁水分神社

棲息地の見え方=景観のあり方を追ってJR玉手駅から孝安天皇陵から、神武天皇社を経て掖上駅までみてきた。大和盆地の一隅、「まほろば」の地をわずかながらでも通りすぎたことになるが、「まほろば」(真秀ろば。まほらば。真秀らば)の地は、樋口忠雄の分…

西光万吉について

『至高の人 西光万吉』 柏原(奈良県)から帰ってきてから、西光万吉について調べようと市立図書館へいった。いくつかの本があったが、そのうち一番出版年が新しいものを選んだ。宮橋國臣『至高の人 西光万吉』人文書院、2000年。新しいといってもすでに20年…

寄り目の安全ミラー

寄り目の安全確認ミラー 神武天皇社の境内からまっすぐ塀のあいだを抜け狭い通りにでるところにある。境内ではきっと子どもたちの遊び場になっているだろうから、いきなり道へ飛び出すことがあるかもしれない。車はあまり通らないだろうけれど、歩行者や自転…

神武天皇社(柏原)

道標(神武天皇社の近く) JR掖上駅への道の途中にこのような道標がある。歩き疲れていたし、もう夕方に近いのでちょっとまよったが、神武天皇社だけは見ておこうと指示標の方向へと向かったが、もうひとつ直前の指示が親切ではなく、行き過ぎてしまった。す…

ほほまの丘から水平社の故地へ

ほほまの丘の石碑(水平社博物館) 細長い「ほほまの丘」(漢字を出力できないのでひらかなで)の端、東南のところに水平社博物館の石碑がたっている。本馬山からの国見の眺めを確認しようとして、思いがけずここに来てしまった。ここにというのは全国水平社…

嗛間丘(ほほまおか)から

本馬山に登ろうとして、麓までたどりついたが、登り口が見当たらない。北のほうには池があり、山麓は個人用地のようで、行けなさそう。仕方がないので、ふもとを南の方向に回っていると少し高地になっている公園があらわれた。上がってみる。ここが嗛間丘と…

福徳の神がいる家々

恵比寿さま 田んぼの畦道を通って集落のほうに行ったところ、瓦をのせた塀に囲まれたお屋敷が続く通りがあった。その家々には七福神が屋根の上に鎮座している。大黒さま、布袋さま、弁天さまなど、屋根にのっかり、しかもかなり精巧につくられている。京都の…

秋津洲の道から斜めに歩く

「秋津洲の道」という道標がまれにある。「まれ」なので役に立たない。観光地ではないので、観光客はいない。歩いている人もいない。帰りのことを思うと、バス、鉄道の路線を行動範囲から失わうと困ったことになりそうな予感がする。出雲の丘陵地を歩いたと…

孝安天皇陵

孝安天皇陵へ行こうとしてとことこと歩く。案内標識があるようで、かんじんなところに無い。丘陵のすそを半分ほど円を描いて回ってしまった。途中でゴミがあるな、と通りすぎようとして、ちょっと変だとよくみたら、お供えだった。 地蔵さまの浮彫 おそらく…

盆地の景観

樋口忠雄は日本の景観を四つの分類(パターン)で分析してゆく。 その第一は「盆地の景観」である。盆地は「周囲を山に囲まれた閉鎖性の強い空間」であり、「明確なまとまり」をもった「完結した世界」である。その景観は、「人の心を平穏にさせてくれるよう…