2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

板垣退助銅像

高知城追手門を入ってすぐのところに、板垣退助の銅像がある。観光客はそれほど立ち止まらず横の階段を通り抜けている。ずっと昔にあったお札にあった特徴的な髭を生やしている。高知といえば板垣退助という時代があったのだ。あまり板垣退助のことを聞かな…

山内一豊銅像

追手門への道筋に大きな銅像があって、誰のだろうと近づくと山内一豊の騎乗の像だった。慶長6年に山内一豊は高知城の築城を開始する。本丸、二の丸の石垣工事が完成し入城したのは慶長8年。

高知城天守閣と追手門

日曜市の開催されている通りの突き当たりに追手門がある。高知城への入口。追手門の上方に天守閣を遠望できる。いままで見てきた天守のなかでは比較的細く見える。展望台の機能がより強められて見えるからか。

土佐打刃物店(高知)

高知の日曜市には、通りに面した店も商品を拡げている。これは金物店。土佐の打刃物がずらりと並んでいる。これはじっくり見たかった。

高知の日曜市

高知は日曜日の朝市が有名である。高知城の追手門までの広い通り(追手筋というらしい)に出店が並ぶ。人出も多く、シュロの並木の下をひやかしながら歩いている。これだけ盛大だと有名になると納得した。市内案内地図をみると、火曜市や金曜市が開かれてい…

はりまやばし(高知)

高知のはりまやばし。平成十年と橋に記されているから、あたらしく修復されたか、新築されたかだろう。今は橋の下に川が流れているわけでもないから、なんとも味けのない「ありましたよ」という橋のたたずまいだ。見ていると写真だけとって、観光客はすぐさ…

桂浜(高知)

ここも名所の桂浜。向こう側の岩場の上に祠のようなものが見える。そこへと人が歩いている。なんだかわからないが、ともかくそこへと歩いみよう。かなり距離があるが、そんな気にさせる浜辺である。

坂本龍馬像(高知桂浜)

これぞ御存知、高知桂浜の坂本龍馬像。 宇和島から鉄道で高知に向かうルートをとりたかったのだが、接続がうまくゆかないので、松山に戻りバスで高知に向かった。ホテルに荷物を預け、まずは桂浜へ。思いのほか龍馬像は大きく、また高い台座のうえにあるので…

「穂積橋」名称の由来(宇和島)

「穂積橋」という名前は、穂積陳重の「老生は銅像となって仰がるるより、萬人に橋となって渡らるる橋となりたし」という言葉から来ている。名称の由来の石碑が立っている。穂積陳重は、宇和島藩校から大学南校、開成校に学び、イギリス、ドイツへ留学、東大…

穂積橋とほづみ亭(宇和島)

宇和島の市街地図に、高野長英の隠れ家の近くに「穂積橋」という場所のマークがあるので、そちらに回った。写真は穂積橋とほづみ亭。昼時なのでどうしようか、と思ったが、「商談〜」になどと店先の看板にあり、ちょっと敷居が高いような気がして入らなかっ…

高野長英居住地(宇和島)

木屋旅館のところを曲がり、アーケード街に入る。途中で右手に曲がり、高野長英居住地へ行く。長英は江戸の牢を脱獄して、宇和島藩八代宗城にかくまわれた。この家は家老の別邸だった。案内板には吉村昭の一文が記されている。脱獄者にも居場所を与えた城主…

木屋ガス燈(宇和島)

木屋の軒先にガス燈がある。もうガスは使っていないと思うが(確認していません)、このガス燈の様子がなんとも良い。今和次郎に「ブリキ屋の仕事」という文章があるが、それに出てくるブリキ屋の作品の系列とみていいだろう。ブリキ屋は雨樋の修理などもや…

木屋全景

木屋という旅館がある。駅の方向へ戻る途中で、税務署の近くにある児島惟謙の生誕地を通り、その道を進むと見えてくる。二階建て、昔の旅館の面影なのだが、今も現役なのだろう。次回来たときは、ちょっと泊まってみたいと思わせるようなたたずまいである。

大和田建樹生家跡の標柱

天赦園を出て駅へ戻らなければならない。途中で寄り道をしながら駅へと向かう。上り立ち門の近くに大和田建樹生家跡と地図にあるのでゆく。標柱が立てられていた。大和田建樹は「鉄道唱歌」(汽笛一声新橋を〜)の作者である。その他たくさんの詩歌を残して…

天赦園の眺め(宇和島)

天赦園からの眺め。宇和島を囲う山が借景になっている。宇和島を囲う山は高い。「宇和島城下ぶらり」というパンフレットには、ドナルド・キーンの言葉が載せてある。「四方に山があって、オーストリアのインスブルックを思わせるが、段々畑になっている宇和…

白藤太鼓橋(天赦園、宇和島)

白玉上り藤が太鼓橋にからみついている。庭園の西側を浄土に見立てている。この橋を渡り浄土へと向かう。橋の先には三尊石という石が置かれていて西方浄土に見立てている。太鼓橋は異界へと向かうことを知らせる意味がある。結界と同じ意味あいである。こど…

春雨亭(天赦園、宇和島)

春雨亭と名付けられた書屋。伊達家七代の春山はここで書道にいそしんだ。春山は百歳の長寿をまっとうしたというから、幕末明治の当時としてはとてつもなく長生きした。毎日こういうところで書にはげみ、庭を散策するならば、長生きもできるかなあ、と庶民の…

潜渕館(天赦園、宇和島)

天赦園に入ると、広い芝生のさきに潜渕館(せんえんかん)という建物が見える。書院式の茶室だそうだ。浜離宮を改造し、天赦園をつくった七代の宗紀がお茶を楽しんだところ。この芝生のところには何か建物があったのかもしれないが、いまは芝生だけになって…

淡竹(天赦園、宇和島)

宇和島の天赦園にある淡竹。伊達家の家紋は「竹に雀」だそうで、天赦園には種々の竹が植えてある。これは良く見られる淡竹(はちく)。19種の竹、笹が園内にあるので、竹や笹だけを見ても面白いだろう。淡竹といえば、小さいときに淡竹のタケノコを食べさ…

藤棚(天赦園、宇和島)

天赦園の入口から入ったところにある藤棚。伊達家の先祖が藤原鎌足ということから、藤棚が設けられているそうな。藤の花が見られるのは4月上旬から下旬にかけて。写真の奥に見えるのが入口の門。暑いときだったので、藤棚の蔭はひんやりとしていた。これは紫…