2017-07-01から1ヶ月間の記事一覧
太田神社拝殿。奥に本殿が見えるが入ることはできない。なにかの催しのときにだけ入ることができるのだろう。人気がなく、静かだ。村社だから村の祭りがあるのだろう。そのときにはこの境内もふだんとは違った雰囲気になるのだろう。
太田神社鳥居。鳥居の奥のほうに拝殿が見える。敷地が広くて、けっこう規模のおおきな神社である。延喜式に記載されているというから旧い神社でもある。明治5年に村社となった。
東京に来たからヨドバシカメラに寄っていこうと思った。ヨドバシは他の都市にもあるけれど。いつも西口の地下道からいくのだが、高速バスターミナルのビルがヨドバシになっていた。バスターミナルがなくなっていた。これでいかに「田舎者」かがわかるという…
太田の集落を抜け西国街道を北へと進むとゆるやかな坂にさしかかる。太田神社の方向を示す石柱がたっている。案内板もあって、太田神社と「雲見坂」の名称がある。坂は神社の方向でも、街道の方向でも坂道で、つまり少し高台になっている。東はもと東芝の工…
旧岩崎邸を出て、御茶の水駅まで歩こうと決めて、歩き出したときに目にとまった集合住宅。ぱっと見てなんとなくすごいな、と思ったのだが、何がすごいのかはよくわからなかった。写真をみかえしてみると、ベランダがない。洗濯物がない。同じ規格の窓、部屋…
神社があるところから太田の街並みをみたところ。旧街道の雰囲気を残している。ここを通り抜ける車もけっこうあるので、注意しながら歩く。新建築よりも旧い様式の建物のほうが見応えがある。住みここちはどちらがいいかわかりませんが。
旧岩崎邸を見たあと入口の門へと戻る道。振り返って受け付けの方向を見たところ。ゆるやかな坂道になっている。邸宅が建っているのは不忍池からは高台にあり、その高台への外周をりようして坂道がつくられている。庶民のウサギ小屋と比べるまでもないが、こ…
これはムクノキだそうだ。茨木市の保存樹に指定されている。このような年輪を経た樹木を見るとなぜかほっとする。これは神社の敷地にあるのでこんなかたちで生き残ったのだろう。
重要文化財の袖塀。今の三菱グループのマークのもとになった岩崎家の家紋である「重ね三階菱」が彫られている。立派です。うーむ、重要文化財か〜、と思ってしまうが、ここまで表現するおうちはもはやないだろう。
安威川を渡り太田(おおだ)の集落へ入る。西国街道をはさんで東側が太田一丁目、西側は二丁目と区分けされている。この風景は二丁目側。何が祀ってあるのかわからないが、神社がある。西国街道の両側は立派な旧くからの家が並んでいる。いかにも歴史を感じ…
旧岩崎邸の入口のところに袖塀の説明板があって、そこに三菱のマークの由来の説明がされている。岩崎家の家紋は三階重ね菱だそうで、それが土佐の山内家の家紋の形ともあわされて、現在の三菱マークになったことがわかる。最初から三菱マークだと思っていた…
西国街道は名神高速の下をくぐり、交差点からすこし登りになり安威川にかかる橋へと続いている。橋の向こうは太田1丁目の集落がある。安威川の川幅はけっこう広い。ひとむかし前に安威川の氾濫があったというから、川幅も広くとってあるのだろう。河原で遊ん…
旧岩崎邸(東京台東区)のビリヤードホール。スイスの山小屋風。造りは非対称で、ベランダがある。ベランダがあるのは植民地風ということらしい。建てられている場所も非対称で、これは日本的。東アジアの日本という地域の特徴を考慮して、コンドルがこのよ…
西国街道は茨木市の十日市町から西太田町へとゆく。二つの町の境目に名神高速が走っている。西国街道のあとに名神高速ができて、さらに高速道路の脇に道路ができて、道が一見複雑になっている。「太田」は「おおだ」と濁点をつけて読む。
旧岩崎邸は有名な洋館のとなりに和館がある。岩崎家当主は来客は洋館で、家の行事にかかわる客のもてなしなどはこの和館でしたということだ。いまは公開されている。この書院造りは立派なもので、これが本格的な間取りをもった書院造りであるという。これは…
阿為神社御旅所から広い道路(亀岡方面への道路)をわたって少しゆくと「此處安威村」の石柱がある。むかしはここも安威村の範囲だったのだろう。「阿為神社御旅所」もあるからおそらくそうだろう。古地図で確かめてみる必要があるが。
旧岩崎邸洋館の東南からの眺め。手前にサンルームがあるが、これは冬場は寒いのでつくったようだ。それにしてもコンドルの設計による洋館そのものである。明治期の富豪は「洋館」が文明のシンボルとみて、西欧のものをそのまま建てた。現在の日本の富豪はど…
西国街道の脇にある阿為神社御旅所。茨木市の耳原というところにある。耳原は「みのはら」と呼ぶようだ。西国街道のここは狭い道なので車は一方通行となっている。神社の御旅所社殿と大きな楠がある。境内は民家にかこまれてガランとしている。安威の集落は…
芝生広場から見た旧岩崎邸。洋館の裏手(南側)には広々とした芝生が広がっている。もっともこの芝生の場所には建物があったらしい。ときどきドラマ映像の舞台に使われているので、ここの眺めはときどき見かけることがある。昔はもっと敷地が広かったという…
山崎聖天への参道石段の途中から阪急電車を見下ろしたところ。阪急電車からはこの石段が見える。昔はいつも電車からこの石段をみて、この上には何があるのだろうか、と思っていた。ときどき人が登り降りしているのが見えた。かなり経ってからここを訪れ、山…
上野の不忍池の近くに旧岩崎邸がある。池之端で、台東区の端、隣は文京区、東大という場所にある。ゆるやかな坂道を登ってゆき、入場料を支払うと、シュロの木もあって、東南アジアあたりの洋館か?という本格的な洋館が建っている。設計はジョサイア・コン…
妙音山観音寺山門。山崎聖天の山門。いつもはここから登ってゆくのだが、この日は上から降りてきた。山門の下から登ってくると仁王さまがお迎えする。この日は見送り。振り向きつつ参道を下へ。
東京上野の不忍池。最初に不忍池を見たとき(ずっ〜と以前)はまだ水面が見えていたような記憶がある。もちろん、池のむこうがわにあるタワーマンションなんぞはなかった。もっと空が広々としていたはず。池の回りには、スマホ片手の人達が群がっていた。獲…
観音寺本堂。一般には山崎聖天というが、聖天堂は本堂の横にある。平安時代の開山で、今の伽藍は幕末に全焼したあと、明治時代に再建された。 駅から少し歩いて到着する適当な距離に位置している。
笹百合(ささゆり)が咲いていました。初夏の花です。
山崎聖天の石段を上がると「のだふじ」が咲いていた。ちょうど盛りの時期だった。「のだふじ」と看板には書いてあるのが見えるが、漢字で書くと「野田藤」。野田は阪神電車の駅名「野田阪神」の「野田」。この野田にあった藤が見事なので各地に「のだふじ」…
筑前橋を渡り、広い通りの一本先まで行ってみたら「大阪教会」という煉瓦つくりの教会があった。塔もあって、規模の大きな教会である。こういった建物に遭遇するのはぶらり歩きの楽しみ。
(山崎聖天、大山崎町)ゆっくりと直登の石段をのぼり、上から下を見たところ。上からみるとさらに勾配がきついように見える。常緑樹の葉が新しい葉となり、古い葉が散り始めるころ。広い境内でこの石段まではなかなか手が回らないようす。毎日掃いても、毎…
市立科学館のところから橋を渡る。土佐堀川。水上バイクが行き来している。むこうがわに新築なった朝日新聞のツインビルが見える。あちらは肥後橋。
稲荷大明神のすぐ近くに小さな門があり直登の石段がある。山崎聖天への石段。以前にこの門から上を見上げていたら、犬と散歩しているおばさんが通りかかって、「昔は(若いころ)はここをひょいひょいと登っていたのだけどね」と言って笑いながら立ち去って…