2020-01-01から1年間の記事一覧

種貸社(住吉大社)

種貸社鳥居 住吉神宮寺跡石碑から少し歩いて広場にでると向こうのほうに何やら神社らしきものが見える。新しく整備したようで何だろうかと近づくと「種貸社」だった。 「種貸社」石柱 神社の名前を彫った石柱があって、下の土台に「一粒万倍」とあり、「塩爺…

住吉神宮寺跡石碑(住吉大社)

住吉大社の御文庫の左手の門を入り御文庫の側面を見る。 御文庫側面 必ずしも大きい建物とはいえないが、蔵作りで火に強いと思われる。八角形の窓が目にとまる。 住吉神宮寺跡石碑 古札納所 御文庫のすぐとなりに「古札納所」と「住吉神宮寺跡」の石碑がある…

御文庫(住吉大社)

御文庫 住吉大社の第一本宮の左手奥の門をくぐるとすぐに御文庫が見えてくる。これを見たかった。その存在は知っていたが、見るのははじめて。つぎは御文庫の正面から。 御文庫正面 「大阪最古之文庫」という碑がたっている。御文庫とは何かは、左手の黒っぽ…

住吉大社本殿(続き)(大阪市住吉区)

住吉大社本殿(横から) これは住吉大社本殿を横から見た写真。右手の本殿と左手の拝殿とは屋根のかたちが違うことがわかる。朱塗りの部分が本殿。本殿の内部は内陣、外陣と別れ、側面は各2間。屋根は直線。妻入り。 拝殿は前回のブログの写真のように、屋根…

住吉大社本殿(大阪市住吉区)

住吉大社本殿へ 反橋(太鼓橋)渡り、鳥居と朱塗りの門を抜け、住吉大社本殿へ。住吉大社の本殿(本宮)はなんと四つある。門の先に見えているのは第三本宮。 第三本宮と第四本宮(屋根) 第四本宮 第三本宮と第四本宮のあいだ 第三本宮と第四本宮のあいだか…

反橋(住吉大社)、川端康成文学碑

反橋(住吉大社) 住吉大社といえば、まず反橋。手前の横から見ると欄干の朱塗りが緑と青空に映える。 反橋 2 けっこうな勾配で階段状になっている。 反橋 3 橋を上がりかけたが、けっこうな勾配でちょっと登るのがやっかい。足の弱いひとは危ないだろう。 …

遣唐使進発の地石碑、狛犬(住吉大社)

「遣唐使進発の地」碑 住吉大社の境内に足を踏み入れてすぐのところ、左手にこのおの大きな石碑がある。遣唐使を乗せた船が四隻、住吉大社と反橋も右手に描かれている。白砂青松の海岸の様子で現在の大阪の海とまったく様子が違う。もとはこういう景色だった…

住吉大社へ

住吉公園駅 住吉公園から南海電車のガード下をくぐり、住吉大社の方へ歩く。これは阪堺電軌上町線の住吉公園駅。駅と道路を挟んだ反対側に案内板がある。 住友燈籠の案内板 はじめのところに長峡(ながお)という地名がでてくるが、南海電車と阪堺電軌阪堺線…

住吉公園(心字池あたり)

有料BBQのひろば 住吉公園は住吉区ではなく、住之江区の区域にあるようだ。南海線のところが境界になっている。住之江区ももとは住吉区で、「住吉」はむかし「すみのえ」と読んでいたという。今の住之江区は、埋め立て、埋め立てで沖へとひろがっていったの…

住吉公園(汐掛道、高燈籠)

住吉大社駅(南海) 住吉公園。池の向こう側にみえるのは南海電車の住吉大社駅。 住吉公園の古図 公園のなかにあった住吉公園に該当するところの古図。写真の写りが光の反射でよくないのでわかりづらいが、高燈籠から住吉大社までが描いてある。燈籠のところ…

帝塚山

熊野街道 熊野街道石碑 万代池のとなりに熊野街道がある。石碑が建てらている。この場所から帝塚山駅のほうに向かう。 まずは阪堺電軌の帝塚山三丁目の電停。 阪堺電軌の車輛 たまたまこの車輛は帝塚山のマークがある車輛だった。アニメなどが描いてなくて色…

万代池(大阪市住吉区)

桃ヶ池から阪和線沿いに鶴ヶ丘駅まで歩き、そこから西へ道なりに歩けば万代池に行き着く。 万代池 相当おおきな池である。万代池には「まんだい」と「ばんだい」の二つの表記があって、どちらも使われているようだ。聖徳太子が僧に曼荼羅経を読ませて池の怪…

桃ヶ池(大阪阿倍野区)

桃ヶ池 阿倍野のビルが向こう側に見える。池には蓮がびっしり、ここはなんだか東京上野の不忍池のようだ。 股ヶ池明神への橋 さきほどのところから少し行くと橋があって、向こう側に神社がある。 股ヶ池明神 鳥居のところには「股ヶ池」明神の名称が。今の地…

神馬塚(大阪阿倍野区)

長池の北の方に桃ヶ池がある。この池も阪和線から見える。昔にこの池の横を通って美章園へと歩いたことが一度だけあるのを思いだした。 神馬塚 今回は南田辺駅から歩いた。池の手前で、何かがある、何だろうと池とは反対側だったが、行ってみると「神馬塚」…

シャープ本社跡(西田辺)

旧シャープ社屋 前回のブログでシャープに触れたので、シャープ本社の建物が残っているかな、と行ってみた。本社の建物は無くなっていた。フェンスに囲まれて「ニトリ」の名前が大きくフェンスに書いてあった。上の写真は、旧本社と南港通を挟んで南側にある…

山阪神社(大阪東住吉区)

山阪神社 阪和線の南田辺駅で降りて、地図を眺めていたら、この山阪神社があった。もともと法楽寺へ行くために南田辺駅へ来た。時間の余裕があったから、どのようなところか見ておこうとできるだけ町中をあるくルートで神社に向かう。神社の隣に公園があって…

楠の大木(法楽寺、大阪田辺)

田辺大根の碑 法楽寺の境内の一隅に「田辺大根の碑」があった。この土地の名前がついている大根だが、現物は見たことがない。私が、大阪も含め、摂津、和泉、河内の名産野菜で、普段に目にして、食べるといえば泉州の水茄子くらいか。ほかにも地場の名産と呼…

法楽寺本堂(大阪田辺)

法楽寺本堂 法楽寺の本堂。写真の右上に黒いものが写っているが、これは三重塔の屋根の先から下がっている何か。何か? 本堂は宇陀松山の織田家の殿舎から移築されたものとの説明があるが、織田家の建物はほとんど仏教寺院の形式で建てられていたのだろうか…

三重塔(法楽寺、大阪田辺)

法楽寺三重塔 山門の外からも塔の相輪が見える。山門から入るとこの三重塔が正面にある。相輪の金色が鮮やかだと思ったら、この塔は平成に建てられたというので、なるほどそのせいもあるのだろう。 平成宝塔説明板 平成八年に落慶法要がなされた。「平成の三…

法楽寺(大阪市東住吉区)

法楽寺門前 享保15年(1730)、平次郎(のちの慈雲尊者)13歳のとき、父の上月安範が亡くなった。行年66歳。このこともあってか、この年の11月に、平次郎は大阪の田辺の法楽寺で忍綱貞紀和上に従って出家した。しかし、朱子学の儒者の講釈を聞いていたせいか…

慈雲尊者生誕の地顕彰碑

玉江橋を北から渡り右手に少しゆくと慈雲尊者の生誕地であり、そこに顕彰碑がある。 慈雲尊者生誕地の石碑 この石碑はリーガロイヤルホテルへの道の左手にある。ここが慈雲尊者の生まれた高松藩の蔵屋敷があったところなのだろう。道沿いは壁があるので、そ…

玉江橋

玉江橋旧景 玉江橋北詰にこのような絵が嵌め込んである。長谷川貞信「玉江橋より天王寺遠景」という浪花百景の絵であるが、題名のとおり天王寺(四天王寺)の塔が橋の上から見えるという景色が描かれている。よく見ると塔があり背景に二上山のようなかたちの…

弘川寺の桜山

もみじ 西行、似雲の墳墓のあるところから上のほうが桜が植えられている「桜山」となるのだが、訪れた時は緑がきれいな時期だった。 『西行』の高橋英夫がここを訪れたときは、桜の満開がすこし過ぎたときであったが、丘の上には誰もいなかったと書いている…

弘川寺

高貴寺と磐船神社の地図を見ていたら、近くに弘川寺があるのに気づいた。弘川寺は西行が建久元年(文治六年、1190)二月十六日に七十三歳で亡くなった寺である。高貴寺からも車では近い、この際ちょっと行ってみようと思った。山の裾を縫うような道を走らせ…

磐船神社本殿と大岩(河南町平石)

読めない説明 磐船神社の説明板があるのだけれども、ほとんど読めない。かろうじて「栂」の字があり、「樛」というのは栂の意味なのだろうなと推測する。栂の木があったとあり、境内に玉垣で囲った枯れ木があるので、それらしい。 枯れ木 特別の木でなければ…

磐船神社(河南町平石)

高貴寺の近くに磐船神社がある。もとは高貴寺と一体だったが、明治期の神仏分離政策で別のものとなった。磐船神社へは高貴寺の山門の前の道(草むらの道)をそのまま進むと草むらはなくなり、ふつうの山道となる。 磐船神社への道 わかれ道 しばらく歩くと分…

高貴寺

慈雲尊者の晩年の59歳から87歳まで隠棲していた寺が高貴寺である。南河内の山中にある。平石峠への道の途中にあるかと地図でたしかめて向かった。平石という集落が谷の奥のほうにあり、そこの行き止まりのところに「高貴寺」の石標がある。 高貴寺石標 石標…

禅那台(長栄寺・河内)

生駒山中にあった雙龍庵の禅那台は、河内の長栄寺に移築されて残っている。長栄寺は慈雲尊者が若いときに住職だった寺である。禅那台がまだ残っていると知り、ぜひとも外観だけでも見たいと長栄寺へ。近鉄線で河内永和という駅で下車。改札を出て北側の細い…

長尾の滝から暗峠へ向かう

長尾の滝からの道 長尾の滝、雙龍庵跡からさらに生駒山上、暗峠への道があるというので、その道をたどる。滝から上は山道になる。適度に道が利用されているようだ。 生駒山方面への道標 この道標で「枚●駅」と「岡」が塗りつぶされている。下から上がったき…

雙龍庵跡(生駒山中、長尾の滝上)

慈雲尊者像 長尾の滝の上に、慈雲尊者が雙龍庵という庵を建て、41歳から54歳にかけて14年間にわたり、ここで隠棲していた。この間に『梵学津梁』一千巻の殆どが出来上がったと言われている。日本における梵語研究の集大成という画期的業績である。 雙龍庵と…