2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

丸亀城から北方の眺め

丸亀城から北の方向を眺めると、眼下に市役所、その向こうに丸亀駅、港、瀬戸内海が見える。城からは瀬戸内海を航行する船がよく見える。丸亀は重要な港だった。沖合には島がならび、波を防いでいるのかなとも思う。丸亀港で陸に上がると、そこから金比羅参…

讃岐富士(丸亀城から)

丸亀城から見た讃岐富士。飯野山という名前がある。讃岐平野にはこのような形をした山がたくさんあるが、ひときわ目を引く山である。Butte(ビュート)という形状で、円錐状孤峰というそうだ。高速道路を走っているとこの山の麓を走るので余計に印象に残る。

丸亀城天守(丸亀)

丸亀城の天守は、大手門のあたりから見上げると巨大な石垣には不相応な感じで乗っている。上にあがってきてみると、たしかに小ぶりな感じがする。熊本城などを見ていると櫓の規模である。ただし丸亀城はこれで十分だったのだろう。それは天守に上がってみる…

見返り坂と石垣(丸亀城)

[見返り坂と石垣(丸亀城)]大手門から入ると、まず天守のほうに回りこむかたちでけっこうきつい坂が続いている。「扇の勾配」と言われる石垣のあたりで登ってきた坂を振り返るので「見返り坂」と呼ばれているのだろう。

丸亀城(丸亀)

丸亀城。今に残る木造天守12城のうちのひとつ。大手門の方向からみた丸亀城。みるからに石垣が高い。天守閣は日本一小さな天守を「誇って」いる。天守と石垣の比率もあるだろうが、石垣だけでもこれはすごいものだと思わさせる。

旧百十四銀行丸亀支店本町出張所

これは旧百十四銀行丸亀支店本町出張所の建物。昔の銀行の建物だけあって石張りでしっかりとした感じの作りになっている。いまは銀行としては使われていない。NPOなどが入り、地域のコミュニティ形成の用途として活用されているようだ。あとで開いてから中を…

丸亀の商店街(丸亀)

高梁のつぎは四国の丸亀へ。Nさんに丸亀城を案内してもらった。城に行くまえに丸亀の町を通る。写真は丸亀の商店街の一角。これは朝早いときだが、日中もシャッター商店街に近くなっている。かつては休日ともなると隣の人と触れ合わずに通り抜けられないほど…

米川正夫、米川文子生誕の地銘板(高梁)

高瀬舟を見てから駅の方へ向かおうとしていた。駐車場に10人ほどのジャージを着た若者たちがいた。通りかかると一斉に「こんにちわ!」と大きな声で挨拶をよこした。一介の旅行者に対してである。年頃からすると大学生くらいだと思った。あとでしらべると吉…

高瀬舟(高梁)

観光用駐車場の一角に高瀬舟が展示してあった。大きな高瀬舟である。高瀬舟といえば京都の高瀬舟しか知らなかったし、それを思い浮かべてしまう。高梁の高瀬舟は、高梁川を南北に行き交い、なんと昭和の初めまで活躍したという。鉄道が敷かれるまで物資流通…

紺屋川沿いの道(高梁)

高梁キリスト教会堂と藩校有終館のあいだにあるのは紺屋川。日本に道百選に選ばれている。高梁川の方に下ってゆくと燈籠があり、川の上に祠が祀られているところもある。古い商家や民家が並び、歩いてみたいという気を起こさせる道である。

藩校有終館跡(高梁)

藩校「有終館」跡。高梁キリスト教会の斜め前にある。跡地は、いまは幼稚園となっている。山田方谷もここで学頭をつとめた。松の木がある。方谷の手植えの松とされている。幕末期には藩士の子弟にはここで学ぶことを義務付けられたというが、高梁の文化水準…

高梁キリスト教会堂

頼久寺から川筋に出て鉄道を越えると札幌農学校演武場(時計台)のような建物が見えた。形は似ているが時計はついていない。窓だけ。頂上には十字架がついている。バルコニーにはギリシア風の柱がある。洋風木造建築のキリスト教会。ふしぎな建物だ。

頼久寺山門(高梁)

武家屋敷の並びを通り抜け、駅の方向へと左にまがれば、頼久寺山門の前に至る。足利尊氏が各国につくった安国寺の一つ。門前の案内板・山門には安国頼久禅寺の文字が、安国がなかったり、禅がなかったりして掲げてある。ここも山門をくぐり、ちょっとのぞい…

石火矢町街並み(高梁)

高梁の石火矢町の街並み。武家屋敷が並んでいたところで、まだ昔の武家屋敷が残っている。一部は新しい家になっているところもあるが、昔の趣きが残っている。公開されている武家屋敷もある。このときは、時間がなかったので立ち寄らず通り抜けただけになっ…

石火矢町標識(高梁)

備中松山城を降り、山田方谷家塾跡を過ぎると石火矢町の武家屋敷の街並みに着く。「石火矢町」という新しいと思われる標識がある。城に登ってゆく途中で、タクシーの運転手に、ここが武家屋敷のあとだと教えてもらった。

大石良雄腰掛石(備中松山城)

鞴峠からしばらく下りたところに、大石良雄腰掛石があった。大石良雄とは忠臣蔵で有名な大石内蔵助のことである。備中松山城の城主水谷家には後継ぎがなく、お家は断絶。松山城の受け取りに赤穂の大石内蔵助が来た。山上の城への途中、この石に腰掛けて休ん…

鞴峠分岐点道標(高梁)

備中松山城から降りてきて、タクシーで乗ってきた鞴峠(ふいごとうげ)まで着いた。分岐点の道標がある。またタクシーで帰るか、バスに乗るか、歩いて降りるか、どうしようかと少し迷った。予定していた時間よりも余裕がある。雨があがり、すぐに降りそうに…