言動明快

 言動が明快に断ち切れることが「哲学」の「哲」の漢字の意味だそうだ。「哲」は「折」と「口」に分解できる。「折」の偏は「艸」をたてにならべたもの、「斤」(おのづくり)はちょうな、まさかりを意味し、草木をばらばらにすることを意味する。茂っていた草木がたちきられてすっきりするかのごとく言動が明快ということなのなのだろう。ここから「さとい」「あきらか」「ものごとの道理にあきらか」などの意味をあらわすようになった。(別の解字あり)

 西洋での用語philosophyが「哲学」と訳されたとき、「智」の内容に「道理」の解明をめざすということが含まれていたように思う。明治時代以前には、日本に「哲学」という学術用語がなく、いわば発明されたわけだから、いまもって十分定着していないようにみえる。「道理の学」であったとしても、西洋的な道理が日本の社会に定着したかはわからない。 (121009)