「まがい」ものとしての文化

 「文化」ということばにはいくつもの意味があるが、「文化」=「高級」というイメージが広がったのは大正時代である。大正デモクラシーという呼び方があるように、大正時代は明治末期、昭和初期と違って一定の自由が許された時代であった。「文化」住宅、文化村、文化生活、文化学院、文化鍋など文化のつく言葉が作られた。

 「文化」は舶来のものと考えられた時代があり、なにがしかの期待を「文化」に抱いていたということだ。

 柳田國男は「伴を慕う心」(『明治大正史世相篇』)でつぎのようなことを言っている。「まがいという言葉が贋という語に代わって、横行闊歩し始めたのは明治からであった。洋銀というのは銀でない金属であったが、銀と名が附くために相応に売れた。新縮緬という名は絹糸織りでないものを、たくさんに買わしめる宣伝名であった。大正に入ってからはそういう品の多数が、必ず文化という二字を頭に置いたのも一現象であった」。

 「文化~」という言葉は、まがいものをそうでないかのように覆い隠す役割をはたした。「文化」住宅ならぬ、「文化住宅」にはもはや高級イメージはない。「ブンカ」は時と場所によって、つまり歴史的脈絡によって意味や価値を変える。やっかいな言葉だ。 (121018)