「礼」といえば一般に礼儀作法の礼と理解されている。「おじぎをする」からはじまり「礼をつくす」というような事柄を指している。儒教創始者孔子は「礼」を重要視した。加地伸行儒教とは何か』(中公新書)では、「死」を中心において「礼制」を考察し、「礼」の重視される理由を見ている。儒教を宗教的観点から考察するものである。浅野祐一『古代中国の文明観』(岩波新書)では、孔子が礼を重視した理由は、周王朝において重視された王朝儀礼が衰微したのを見て、われらの学団こそが礼学の専門家である看板を掲げたことにあると言う。これは政治的な観点であり、孔子学団の礼学に対しても「空想の産物」「詐欺的な性格」と手厳しい。儒教を呪術性的観点からみるのと、政治的な観点からみるのとでは、おのずと儒教の性格付けも異なってこよう。ただ「礼」が儀礼的なものであることはまちがいない。儀礼はたんに形式的なものととらえがちだが、その形式こそが意味をもつのが儀礼である。礼(禮)は「示」+「豊」、「豊」は高坏にもられた供物をあらわす。儀礼の意味そのものである。ところで、この儀礼が何のために行われ、どういう社会的役割を果たしているのかが問題となる。礼の排撃と礼の擁護が衝突するときは、礼をめぐる社会的衝突が起こっていると考えてよいだろう。(121211)