児島惟謙銅像

宇和島城の上り立ち門の入口のところに銅像がある。誰の銅像だろうかと思って見ると児島惟謙(こじま・これかた)の像であった。児島は宇和島藩士の二男として生まれた。四度脱藩。勤王の志士として活躍した。明治4年に司法官、明治24年大審院長となる。大津事件が起こり、政府の極刑にすべしとの干渉をはねのけ司法の独立を守ったとされる。児島は関西大学の設立にも参画した。関西学院の設立にも関わったランバスも宇和島にいたので、「関・関」は宇和島とのゆかりが深い。

児島の銅像からほどちかい税務署の近くに生誕地がある。標柱と案内板もある。

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