調子1丁目~神足(旧西国街道、上り道)

西国街道、調子付近

西国街道の調子1丁目(道路を挟んで西は友岡)の、中野家住宅からすぐ先の道路の様子。道路の両側に民家の樹木が生い育っている。こういうところを見るとなんとなく余裕を感じられて、歩いていても楽しくなる。昔はこの先は鬱蒼とした森だったようだが。

西国街道の道標

西国街道の道標もある。この道は「旧」街道で間違いない、と安心する。

与市兵衛の墓(伝承)

説明板(高野聖の宿泊、顕彰)

墓だという伝承はあとで歌舞伎の影響を受けてできたもののようだ。「説明板」にも「伝」とある。昔はここらあたりは森だったという説明が興味深い。「峠」ともあるがゆるやかな坂で、歩けばそれほどでもないが、荷馬にはきつい道だったかもしれない。小畑川にむかって段丘地形の高い方になっている。

与市兵衛の墓への道標

もう少し先へと行くと、道標があって、頭にタケノコが乗っかっている。孟宗竹(モウソウチク)だ。タケノコの里なんだな、と思わされる。

神足商店街

さらに上り方向であるくと別れ道にさしかかるが、左手の広い道には行かず、右手の道をすすむと「神足商店街」のアーチ形の看板が見える。この道が旧西国街道である。手前に「神足神社」の石柱がある。

「神足神社」石柱

そのまま街道をすすむ。

西国街道沿いのお店

神足の民家

整骨院

神足2丁目

ここまでくれば横にはアルプラザ。JR長岡京駅もすぐ。ここらあたりは古い木造建築もあって「旧」街道のおもむきが残っている。

調子八角~調子1丁目(旧西国街道)

西山天王山駅(阪急)

阪急の西山天王山駅。駅の上に高速道路の高架がある。まだ高速道路がない時代は、田んぼや畑が広がっていた。なぜこんなところに駅をつくるのだろうと疑問を抱いていたが、阪急にとっては交通の要衝になるゆえの先行投資ということだったのだろう。まだ周辺は開発途上とはいえ、ずいぶん家やアパートが建てられてきたなと思う。

調子八角のところにある地図

これは調子八角の交差点の近くにある地図だが、あたまがこんがらがる。なぜなら、ふつうの地図は上部が北で下部が南となるがこれは南が上で北が下になっている。もっているポケット地図も北が上、南が下。これはこの地図を見ているお前のからだを基軸にして振り返って赤い矢印の方向へ行け、という地図だ。矢印の方向には右手の赤い方向が新西国街道、中の赤い矢印が旧西国街道、そんな標記はないから間違いやすいけれど。

調子八角の交差点

振り返ると調子八角の交差点、この写真には旧西国かいどうの入口は写っていない。不動産屋の少し右手に行く。

調子八角の道標

調子八角の案内板

この道標と案内板があるので、旧西国街道はここで間違いない、となる。

ウナギ屋さん

街道の入口(上りの方向)にウナギ屋があるのでこれが目印。

西国街道

道の狭さから旧街道のおもむきがある。

中野家住宅

もう少し行くと中野家住宅がある。

中野家住宅の説明板

説明板にあるように国登録有形文化財だそうだ。こういう家があってこそ、旧街道の景観になる。「新~」にはこのような家はない。

 

西山天王山駅~調子八角(旧西国街道へ)

阪急西山天王山駅

前回のブログでは「新西国街道」の記事を載せたが、「旧西国街道」も長岡京市には残っているとわかった。「旧」のほうを歩いてみなければ、「旧」のほうが遺跡ものこっているのではないか、と考えた。電車にのっていていままで利用したことのない阪急西山天王山駅に降りてみることにした。「←西山天王山駅」の指示看板が

頭の片隅に残っていたのかもしれない。

西山天王山駅の案内地図

この右下のほうに「調子八角」の交差点名とそのすぐ右側に「西国街道」の文字がある。ここがそうなのか、間違うはずだ。車用の看板にはでていない。そのような指示もない。手持ちの小型地図にも西国街道の記載はない。長岡京西国街道を歩くなら、阪急西山天王山駅から一番近くて迷わずにすむだろう。断言はできませんが。

もうひとつの近辺の地図

これも駅のところにあった地図だが、「旧西国街道」の記載はない。街道はでてるんだけどね。

力水の水飲み場

駅の改札をでるとこんな水飲み場がある。天王山の合戦場の跡だから秀吉もここの水を飲んだのではないか、というわけで設置されている。その説明板もある。

力水の説明板

100%地下水とある。向日市から大山崎町にかけては、地下水のおいしい名水の地である。ここの近くにはサントリーのビール工場があるし、大山崎にはやはりサントリーのウィスキー工場がある。大阪府になるが島本町には水無瀬神宮の水がある。ここは多くの人がポリタンクを下げて並んでいる。

京都市の水道水は琵琶湖の水で、春になると水がにおう。いい匂いではない。ああ琵琶湖はいま汚れているのだな、と水道の栓をひねればわかる。

だから100%地下水ですよ、というのはこの地域の売り文句なのである。夏にでも来たときには飲んでみればいいだろう。

 

調子八角~JR長岡京(新西国街道)

 

調子八角のところにあった道路案内

調子八角というところまで歩いてきたが、道路の案内は車のためのもの、歩行者のためのものではない。高速道路も新設されて、昔の道路とも進路が変化している。西国街道は道なりにいけば<67>になるのだろうと考えて進む、が、やたらと道幅が広いなとは思った。新西国街道という名称があって、「新~」だからか拡張工事もやっていて広くなったのだろうと、そのまま進む。

西国街道の看板

道路の曲がり角で「新西国街道」という案内看板もあって、間違いないと思ってこの道筋を歩く。道路拡張中でもあり、古い家はない。あとでこの案内看板の奥にいけばまだよかったのだが、それに気づいたのはあとのこと。それほど興味がひかれるものもないまま神足小学校のそばに行き着いた。

神足小学校

大きな校舎で生徒の数も多そうな感じがする。ここから府道67を左に曲がれば、JR長岡京駅。昔は神足駅と言った。読み方は「こうたり」。

長岡京」の石柱

駅の近くまで行くと「長岡京」と彫った石柱があり、別の石柱の面には「西国街道」の文字が!

西国街道」の石柱

ここで初めて旧西国街道が残っていたのだと気づいた。また来なければならないな。

名神高速下~調子八角(西国街道)

 

名神高速

名神高速道の下から上を見上げる。すきまの向こうに天王山がうっすらと見える。いつもはこの上の拘束道路の右手か左手を走っていて高架の下は見えないが、こうなっているんだとの感慨はある。高速道路があるので、それにあわせて西国街道は曲がっている。

西国街道(狭い)

ここまでの西国街道の道は広いので、こんなだったかなあ? という気がしていた。ずっと昔に車で通ったときは、道がせまくて往生した。「JAF Mate」というJAFが出している小雑誌に、日本の狭隘な道3ヶ所の1つにとりあげられていた。ずいぶん昔のことだ。偶然にも、3ヶ所とも車で通ったことがある。いずれも、狭隘な道ですれ違いができなかった。ここへ来て、おお、狭いところも残っているではないか、これぞ大山崎西国街道と思う。すこしづつ道を拡げるこころみはあるようで側溝には蓋がされている。でも昔の道の面影がままのところが町並みも残っている。

土蔵のある家

土台の高い家

大きな石がある家

壁画のある家

古墳時代のような図が描かれた壁画のある家。案内看板を読むと「和銅」という文字が入っているので、銅、あかがねを扱っている会社のようだ。これは目立つ。どこかの新聞記事でこの壁画と会社のことは読んだ記憶があるが中味は忘れてしまった。

小泉川と交差

街道を歩いて行くと小泉川と交差する。前方に京都縦貫道の高架がみえる。昔は、といってもつい最近まで、田んぼと畑だったであろう。京都縦貫道まで行くと、調子八角というところだ。

調子八角の道路案内看板

この道路案内板は、基本は車のための案内看板で歩行者のためのものではない。ここで道をまちがった。

 

大山崎東門跡~名神高速(西国街道)

高瀬川清兵衛の碑

石敢當」の石柱のひでようしろに大きな石碑があって、なんて書いてあるのか読みづらいのだが、案内板がすぐ近くに設置してあって、相撲力士の高瀬川清兵衛の名が刻まれているのだと分かる。しかも東門のすぐ近くにあった高槻屋という旅籠の出だということも。この東門のところで、光秀側と秀吉側との小競り合いがあり、かの天王山の戦いの火蓋が切られたと説明されている。天王山にのぼれば秀吉の旗揚げの松の故地があったはずだが、ここまで秀吉の軍を進められたら光秀側は地形的には不利になるのではないかなどと素人考えで思ってしまう。油商人の集まっていた大山崎には光秀は布陣できなかったようだ。

大山崎東門跡の説明板

戦国時代からの転換点の地となったことに思いをはせると興味深いところである。

大山崎小学校

大山崎町役場

消防署

先へと歩くと大山崎小学校、大山崎町役場、大山崎消防署と大山崎の中心的な施設続く。ここまでくると目の前(上方には)名神高速道路が見える。名神高速の上は車で走っていても下から見たことはなかった。

名神高速

 

大山崎(西国街道)

安養院看板

 以前に西国街道を高槻のほうから歩いてきて大山崎までたどりついた。こんどは大山崎から京都方向に行ってみようと歩き出したが、トラブルつづき。まずはコンデジの写真が撮れていないことにきづいた。阪急の大山崎駅から出発し、駅の写真、その近辺の写真も撮ったはずだが、SDメモリカードには残っていない。いきなり安養院の看板から始まっているのはそのせい。これまで3度はカメラをコンクリート、石畳の上におとして、あちこちへこんでいる。焦点が合わないなど不調がつづいているのもしかたがない。替え時かな。

寺の看板だけで、安養院には行っていない。急いでいないけど、先を急ぐ。

聞法寺

 次ぎに現れるのは聞法寺。門前の道路はくるまがけっこう走っている。以前なんどか旧西国街道をくるまで走ったことがあるが、道が狭かった気がする。それ以来車では通っていない。歩いても通っていない。

大山崎の東のはずれ、京側のほうに、近畿では珍しい石敢当石敢當、せきかんとう、いしかんとう)の石柱がある。沖縄、九州南部に多い。関西の近辺でもみかけることがあるが、沖縄出身者の家だろうと思う。あえて当たるという意味らしい。邪気を払うとされる。

石敢当