「生活文化」という言葉が使われたとき

 「生活文化」という言葉は今日でも使われているが、その使われ方をたどってゆくと、幾つかの歴史的な段階というものが見えてくる。1970年代からは地方自治体で「生活文化」という言葉が行政とからめて使用された。坂井知事時代の兵庫県はその先駆で、そののち全国に広まっていったという。70年代は、戦後の高度経済成長が一段落し、その過程で噴出した公害などの問題への反省もあり、住民の生活そのものの見直しの機運が働いていたことはたしかであろう。ところで「生活文化」という言葉自体に触れるとき、戦前の1940年の「新体制」「大政翼賛会」に関わった三木清の「生活文化」論が取りあげられることが多い。「昭和研究会」にかかわって三木の意図したところとは別に、翼賛会のグループからの提言として「戦時生活文化ニ関スル報告書」(43年)が出された。このような歴史的経緯からは「生活文化」なることばで、戦争遂行のために生活をまるごと、合理的に、奉仕の方向へともっていったということがわかる。「生活文化」という言葉が同じだからといって、時代背景を抜きに語ることができないことがわかる。