墨子の思想集団

 古代中国の戦国時代に活躍した思想家に墨子がいる。墨子儒教とは対比的な思想を展開し、彼の系統の思想集団はたいへんな影響力をもっていたが、秦帝国ができてから後に絶滅してしまった。千年ほどたってから朱子の時代に再度隆盛をほこる儒教とはおおきな違いをなしている。墨子の集団にはたいへん優秀な戦闘的技術部隊がいて、城の防御に力を発揮した。各地の君主から招かれて小国の防御にあたった。墨子の思想は基本的には「非攻」論であるから、帝国を形成しようとするものではない。また乞われて防御にあたり、それに失敗したがゆえに、自責の念から全員自決の道を選んだくらいだから、秦帝国の成立にともない消滅してしまったのだろうと言われている。ただし墨子は、学問に励むこともせず、仕官(就職)の道のあっせんだけを要求する怠惰な学生たちに悩まされたらしい。これは今も似たようなものだ。初期の墨子集団の性格が、次世代へと受け継がれてゆく過程で大きく変化していった様子は、組織論として見ると大変興味深いものがある。(121218)