辰濃和男『四国遍路』

四国へ足を踏み入れたのは、まだ宇高連絡船があった時代に、高松へ行った一度きりだった。しかも香大で話しを聞いて、そのまま帰ってしまったからまったく観光もしていなかった。それが、昨年と今年になって四国四県すべてにともかくも足を踏み入れた。鉄道とバス、車を利用してのことである。車内からときどきお遍路さんの姿がみえた。歩き遍路のひとである。女性向けの四国のガイドブックにも巡礼地が一応載せてある。そんなこともあって、辰濃和男『四国遍路』(岩波新書)を見たとき読んでみようという気になった。辰濃氏の本は二度目の「区切り打ち」の巡礼をしたときの記録である。車やバスに頼らない「歩き遍路」の記録である。八十八ヵ所を回ると、東京から神戸への往復を歩いて行く距離があるというからそうたやすいことではない。巡礼は修行でもある。ところどころ修行地も紹介してある。滝行の様子も書いてある。巡礼はお気楽な観光旅行とは違うということもよくわかる。(まだやってないけど。)四国の巡礼地は山がある。長い長い海岸線も歩かなければならない。そのようなところを歩いている人は、きっと宗教的な動機があるとしても、不安産業としての宗教団体とは違う動機があり、行動があると思われる。辰濃氏の本には、そんなことも含めて、遍路をつづけている人と巡礼地に暮らしている人々との支え(お接待)のありさまが綴られている。「動詞」で語られ、身体を動かすことは、「等身大で、具体的で、行動的だ」。そこからひろがり、ふかめられる世界があることが伝わってくる。