八幡神社狛犬と神社縁起

写真は狛犬の後ろ姿から見たもの。台石に「團野氏」と彫られている。「御供田」はその昔「團野村」と言ったという。團野氏は、この地の名家だった。石清水八幡の社領(御供田)だったことから、「御供田」という地名となったという。

神社縁起には、源義家の名がでてくる。ほぼ千年前だから、平安時代の末期、武士の台頭の時期にあたる。ずいぶん昔からの由緒、歴史を有する土地であることがわかる。この八幡神社は元禄のころ石清水八幡から勧請されたとあるから、源義家から700年ほどのあとのことである。

義家は武家の守り神として八幡宮を修理してもいる(由比の八幡宮)。また諸国の百姓が義家に田畑を寄進し、その動きが禁止もされている。天皇の警護、園城寺の僧兵との闘い、奥州の清原家内訌への介入など、時代の動きのキー・パーソンの役割を果たした人物が義家だったようだ。ここは、土地が誰のものかということを思い起こさせる場所でもある。

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八幡神社(御供田)の狛犬

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八幡神社縁起(御供田)