盆地の景観

 樋口忠雄は日本の景観を四つの分類(パターン)で分析してゆく。

 その第一は「盆地の景観」である。盆地は「周囲を山に囲まれた閉鎖性の強い空間」であり、「明確なまとまり」をもった「完結した世界」である。その景観は、「人の心を平穏にさせてくれるような、休息感に満ちた雰囲気」をもち、「安息の地」であり、「棲息の地」である。

 盆地は「はっきりとした境界」をもっている。完結性、閉鎖性がある。

 さらに意外性があるという。それは峠を越えると、「パッと盆地が開ける」という構造が盆地にはある。

 樋口は盆地についてこのように延べたうえで、「秋津洲やまと」型景観をまず挙げる。そこで取り上げられるのは、日本書記の神武東征のはてに到達した場所である。

 御所市の本馬山の丘陵で国見をしたのではないかと言われている。国見をした丘陵は、掖上(わきがみ)の嗛間丘(ほほまおか)と言われている。(56頁の地図[葛城山麓の地]にはないが、国見山という名前の山が本馬山の南方にも別の地図にはある。この「国見山」はいたるところにある国見山の名称かもしれないが。)そして神武天皇の「あなにや、国を獲つること。うつゆふの真迮き国と雖も、蜻蛉(あきづ)の臀呫の如くにあるかな」の歌が紹介されている。

 葛城山麓の地図には、本馬山、掖上池心宮趾、秋津島宮趾、高丘宮趾、鴨都波神社、葛木水分神社の地が指示されている(56頁)。

 「掖上池心宮趾のちかくにある、天皇陵からの眺望は、とくに素晴らしく、これらの地を一望のもとに見ることができる」と書いてあるので、行ってみた。

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孝安天皇陵からの眺め(南方をのぞむ)

 葛城、金剛山のつらなりが見える。手前は浄土宗の寺院の屋根。北方を見ると「素晴らしく」とあるが、現在は眺望はまったくない。『日本の景観』が出版されたのが昭和56年(1981)だから、もう40年近く経っている。丘陵(玉手陵)の北方斜面にはヒノキが植林されていて、大きく育っている。これだけの年月が経つと眺望がなくなるのもやむなしということか。「となめ」の如く、というのは嗛間丘に立ったほうがそのように感じられるかもしれない。