西光万吉について

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『至高の人 西光万吉』

 柏原(奈良県)から帰ってきてから、西光万吉について調べようと市立図書館へいった。いくつかの本があったが、そのうち一番出版年が新しいものを選んだ。宮橋國臣『至高の人 西光万吉』人文書院、2000年。新しいといってもすでに20年近く前の本である。副題に「水平社の源流・わがふるさと」とある。著者の宮橋氏は、柏原の生まれ。「わがふるさと」という副題が入るはずであり、またふるさとであるがゆえに、この本の内容は、地元の知り合い、水平社運動を担った人達への聞き書きが多く収められているのが特徴である。まだ水平社の立役者のひとり阪本清一郎が生きており、彼への聞き書きも何度もなされたようだ。このように聞き取りの取材が丹念になされていることにより、水平社運動の結節点を追って記述するだけのものとは違い、運動がもっていた内部矛盾も描かれていて、この本の内容の膨らみをもたらしている。

 今回は、たまたま柏原をほんの少しばかり歩いただけであるが、本書の16頁にある地図を見ながら読んでいくと、なにげなく見ていたことがあらたに意味のあることとして浮かびあがってくることを実感した。社会的、経済的な分析も収められているので、一地方史としても興味深いものがある。

 表題にある「至高の人」は、ダンテ『神曲』からとられた言葉である。この『神曲』を訳した人に寿岳文章がいる。この寿岳と柳田聖山との対談のなかで、柳田から「もし、至高天に座れる人物があるとしたら、それは誰でしょうか」と問われ、寿岳は「それは水平社宣言の起草者、西光万吉です」とすらりと答えたという。

 ここから「至高の人」という言葉を宮橋氏は副題にしたのであろう。

 寿岳も西光とおなじ真宗の出である。またながらく民藝運動に力をつくし、民衆的工芸の「民衆」のあり方にも柳宗悦とは違った民衆像を抱いてきた人物である。このような寿岳からして、西光万吉は「民衆」像の一典型として「至高天」にあたいする人物として、寿岳には見えたのかもしれない。