須賀敦子のFIAT500

  須賀敦子の名前を初めて知ったのは、自動車雑誌(廃刊になった)か『ブルータス』(こちらはまだ出ている)といった大判の雑誌で、誰かが須賀敦子の文章がすばらしいと書いていたのを読んだからである。できれば自動車雑誌のほうであってほしい。チンクエチェントについてだから。

 名前をそのとき意識したが、かなりあとになって図書館の本棚で『ミラノ霧の風景』を見つけ借りて読んだ。現代イタリア社会についてはほとんど知識のないものにとって、この本のおかげで、イタリア社会について、しかもミラノの民衆の暮らしと考え方について知ることができたという感じを抱いた。この本は女流文学賞講談社エッセイ賞を受賞した。これだけの内容を書き記すことができる須賀敦子はすごい人だと率直に思った。

 『ユルスナールの靴』のなかに、フィアット・チンクエチェントが出てくる。アテネでテセイオンに行こうとしていたときだ。

 観光客相手の店舗で絵はがきを探す。フィアット500。すぐに見つかった。

 「濃紺で、色までが私の乗っていたのとおなじだった。夫が死んだあと運転を始めた私にとっては、はじめての新車だった。まだ新しかったモンブランのトンネルを抜けて、私はフランスに行き、二週間で三〇〇〇キロのかがやかしい旅行を終えた」

 今のチンクエチェントは新型になっているが、これは旧型の500であろう。これで3000キロ。東京―大阪を三回往復の距離である。「かがやかしい旅行」と自ら書いているが、いきなりこれだけ走るとは!

 須賀が日本に帰ってきてからは、たしか赤いゴルフに乗っていたはずだ。これも誰だか忘れたが、須賀の担当をしていた出版社の社員が書いていたような気がする。

 たったこれだけの情報にすぎないが、須賀の運転はシャキッとしたものであっただろう(そうであってほしい)。ゴルフには今はMTはないけれど、フィアット500はMTで運転していた(のであってほしい)。そんな気がどうしてもしてくる。あれだけ簡明な文章を書く人だから。