白いスニーカー 白い土

 須賀敦子ユルスナールの靴』から、少し長いけれど引用しよう。

 「ゆるやかな斜面をおおうオリーヴの林を、私はテセイオンに向かって登った。オリーヴにまじって、樫や、ときには月桂樹がひそやかな薫りをあたりにまきちらしていた。幹にとまった茶色い小型の蟬がぎいぎい鳴いていて、私は、幼いころ、赤松の林ですごした長い幸福な時間を思い出した。歩くたびにスニーカーの下で小さくきしむ土も、ふるさとの山と同じ白さだった。この白っぽい土のうえを、アエスキュロスやソフォクレスアリストファネスが、じぶんたちの芝居のことを人と話しながら、あるいはピンダロスが抒情詩のあたらしい韻律について思案をめぐらしながら歩いたのかと考えるのは、こめかみがつんと痛くなるほどスリリングだった。でも、ソクラテスプラトンも、ラファエッロの『アテネの学園』にある重々しいふぜいではなくて、オリーヴの枝を吹き抜ける風みたいにここにあらわれ、風のように教えていたのではなかったか」。

「木立のなかの神殿」という章にこの文章はある。須賀がテセイオンになんとかして行こうとして歩いていたときのことである。このとき須賀が履いていたスニーカーは白。ふるさとの山は六甲の山。須賀の実家があったところは芦屋である。六甲山は花崗岩からなりっていて、岩石が風化して砂になり土になるのだが、白っぽい色をしている。真砂土とも言われる。洪水ともなれば崩れやすい土だ。ここはアテネだからオリーヴ、樫、月桂樹が生えている。夏なので蟬が鳴いている。

 この文の最後のところで、「アテネの学園」(ラファエッロの絵)に描かれた哲学者のありさまではなく、風のように教えていたソクラテスの像がでてくる。「アテネの学園」は古代ギリシアの哲学者たちの有名どころを一同にあつめた絵画であり、彼らをイタリア的建築物のなかに納めている空想画である。それにくらべてオリーブの林を吹き抜ける風のようにあらわれ、風のように教えるソクラテスというのは軽やかなイメージを与えてくれる。

 このイメージはプラトンパイドロス』にでてくるソクラテスの像に近い。時は夏、蟬も鳴いている。イリソス川のほとり、「プラタナスは亭々とそびえ、丈たかいアグノスの木の、濃い蔭のすばらしさ」。「それにまた、ここを吹いているよい風はどうだ。なんとうれしい、気持ちのよいそよぎではないか。それが蟬たちにうた声にこだまして、夏らしく、するどく、ひびきわたっている」(『パイドロス』)。

 アテネのは夏は暑いだろうが、それでも夏にアテネに行ってみたい。