住吉の長屋

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住吉の長屋

 住吉大社の近くに、安藤忠雄設計の名建築「住吉の長屋」があると聞き及んでいたので、大社の御神田のところからうろうろとして発見。いきなりあった。コンクリート打放しの前面にドア一枚分の大きさの穴があいているだけ。通学児童が何があるのだろうとのぞき込みそうな黒っぽい穴だが、むろん当方は大人であるからのぞき込みはしない。ちょっと角度を変えて。

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住吉の長屋 2

 間口が長屋くらいの大きさで、長屋といわれるとそうかなとも思うが、大阪にまだ残っている長屋と同じかと言われるとやはり違う。外からみたかぎりではコンクリートの箱。

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住吉の長屋 3

 ちょっと南側の川の土手からは側面がちらっと見える。手前の四角いコンクリートの箱が住吉の長屋。奥のアールのついた屋根の家はお隣。箱と書いたが、形はシンプル。有名な建築なので家の図面はあちらこちらに紹介されている。

 できたときは建築界に衝撃をあたえた、安藤忠雄の代表作。まだそれほど経たないころだったか、隈研吾は内部を見学させてもらったことをどこかで書いていた。「どこかで」というのは隈はたくさん本を書いているので、どこで読んだのか忘れてしまったからだ。高級そうなテニスラケットが並べて壁に掛けてあったという報告が印象として残っている。手元にある『10宅論』では「アーキテクト派」住宅の項目で取り上げており、利休の反転と同じことを安藤忠雄は行ったと、これは最大級の褒め言葉である。美意識の反転を行いながら、なおかつ決して「貧乏くさい」空間をつくらなかった、と隈は言っている。とはいえ、やはり大阪に多い長屋とは違う。「安藤の設計した家がその貧しさによって金持に対する精神的な免罪符を与えながら、なおかつ決して『貧乏くさく』はない」「利休も、安藤も、茶の湯の世界も、アーキテクト派住宅も、基本的にある余裕の上に成り立つ世界である」ことを見ぬいていた、と評価する。

 住吉の長屋の正面にはポストもピンポンもない、コンクリートの壁と穴以外に見えない。なるほどこれが幾何学のみで構成されたアーキテクト派の住宅の極地なのだろうと通り過ぎると、その後に見る住宅の見え方が変わってきそうな気がしてくる。