旧津守王子社

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旧津守王子社

 住吉大社の境内に、熊野街道にあった旧津守王子社が移されている。境内の東の方に同じような形の祠が並んでいるうちのひとつ。大社の境内を出てからすぐ東に熊野街道のあとがあり、また津守廃寺跡もあるので、「津守王子社」というのは熊野街道沿いの近くにあったものと思われる。

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「王子社」の板書

 隣に板書が立てられており、「旧津守王子」とある。津守の名は、住吉のあたりで勢力をもっていた古代氏族の名称であり、このあいだの御神田についての説明書にも住吉大社宮司の名として出てきた。この地に今に続く家系であろう。

 熊野街道があるというのは中世の熊野詣が盛んだったことを示している。「王子」は街道の一定区間に設けられたお参り処であり、休憩などの目安にもなった。祠が残っているのは多くはないと言われているが、ここも含めて私は3箇所の「王子」を見た記憶がある。街道筋を歩けばもっと残っているかもしれないが、今となっては熊野街道を歩いて参詣するという人はほとんどいないだろう。四国の八十八箇所の巡礼でも歩き巡礼は数が減り車を使う時代だ。四国は寺院や宿泊所があるから、歩いてでもという気になるだろうが、さて熊野街道ではそのようなものは期待できない。かつての熊野詣では京都の貴族を筆頭に多くの付き添い人が従うという大集団で移動したようだ。宿泊施設もそれなりに整っていたであろう。しかし庶民のレベルにまで熊野詣での信仰は定着しなかったということなのだろうか。大峯山の信仰や伊勢詣りとも比べてみるのもおもしろいかもしれない。