これは記憶のなかの草津宿の風景。中央に「1954」の文字があるから、戦後まもなくのころの記憶のなかの町の様子か。今の町の様子と比べると相当違うのだろう(知らんけど)。下部に諸施設の簡単な紹介が並んでいる。
これは東海道の案内板。いまも「東海道」は日本の代表的な幹線(鉄道、旧東海道線、新幹線、国道1号線)として残ってい歩行する道から、鉄の道に変わり、いまや空のルートの時代となっている。「東海道中膝栗毛」という名作があるように、どうも道中談というのは歩く程度のスピードに似合っているようだ。
草津宿本陣とはどのようなものか、についてはこの案内板に書かれているとおり。さて、本陣に入ってみる。入場料は「交流館」と合わせて350円だったと記憶する。
草津宿本陣の玄関先。この写真には写っていないが、右手の建物のところに受付がある。玄関先のたたずまいは、茨木市にある「椿の本陣」にそっくり。本陣の中に入ってもそれは感じた。大名を泊める「本陣」であるからには、同じような規模、機能を必要とするから、同じようなかたちになるのだろう。
お茶の準備をする間。行ったときは3月だったからか、こんな飾りがしてあった。
お殿様はこの隣の間になる。
お殿様はこの上段の間に。書院造りになっている。一段分厚い敷物があり、その上にお殿様はお座りになる。床下からの襲撃に備えてのこという説明がされている。あとで気づいたが、撮影禁止のマークがあった。ごめんなさい。気づかなかった。同じような設定だなとばかりにパッと写してしまった。
湯殿=お風呂場は、いまの庶民が使うお風呂場とは相当違う。お湯は別のところで沸かしてここまで持ってくる。お付きの人もいて、風呂に入る、というより湯浴びをしたという感じなのだろう。
これは明治天皇の行在所の石碑。明治天皇が泊まったという記念碑。本陣は明治3年に廃止されている。明治天皇が泊まったのは明治11年だから、そのあと。天皇は徳川時代なら将軍にあたる。草津にはホテルもなかったであろうから、格式からいって旧本陣に宿泊された。迎える本陣のほうもそれを名誉としたという記念碑である。石碑を建てるほどの大事だったという証であろう。