「文化」という言葉はややこしい

  日本語の「文化」とう言葉はややこしい。ひじょうに多義的である。もともと英語のcultureだって、多義的で最もややこしい言葉だとR.Williamsも言っている。欧米系統の「文化」ですらそうなのに、日本語の「文化」の場合は中国思想からも「文化」の考え方が入ってきている。明治時代以前から文化という言葉はあったが、明治以降の近代日本においては「文化」は翻訳語としても用いられた。こちらの方が、「文化」の使い方としては主流になっているのかもしれない。各自かってに「文化」という用語を使っているが、それは何かと聞かれて説明に困るのは、わかったようなわからないような使い方を普段しているからだ。だからといって、はっきりさせろと言われてもなかなかはっきりといえないところが困る。多義性があるなら、その多義性の由来をひとつひとつおさえて使い分けることができるようになれば、そして他の意味との共通性を見つけ出して、概括できることがあれば、新たな概念が生まれるかもしれない。そのようにして少しずつ概念の内容がはっきりしていくのだろう。しかし、概念が明確になるまでは便利だけれどあいまいでもある言葉として使われてゆくのだろう。(121011)