魂への気遣い

 ソクラテスには有名な言葉がいくつも残されているが、魂への気遣いもその一つである。ソクラテスは70歳を過ぎた高齢にして死刑判決となり、毒杯をあおいで死んだ。訴状にある理由は二つ。だがそれ以前にソクラテスアテネの市民にとって不可解な人物だったようだ。「魂」(プシケー)への気遣いなどという言い回しは不可解さを助長したようだ。今日の人間にとって「魂」を気遣うといっても当然のことと受け止めるだろうが、当時のアテネの人々にとってプシケーとは、人が死んだときに去ってゆく亡霊のようなものと考えられていたからである。イオニアアナクシメネスに「空気であるわれわれの魂がわれわれを統括しているように、そのようにまた気息(pneuma)と空気が宇宙全体を包括している」(断片2)とある。ソクラテスのいう魂はこの脈絡で受け取られたとも考えられる。ソクラテスイオニア学派の自然哲学を学んだとされる変なやつとして喜劇にも登場する。魂の気遣いということばをソクラテスが発したとき、実は魂の概念を大きく転換させていたのである。(121109)