天地不仁
「天地不仁」というのは中国古代の思想書『老子』に見える言葉である。「不仁」ということで儒家の「仁」の思想に真っ向から対立している。「天地不仁、以万物為数芻狗。聖人不仁、以百姓為芻狗」と続く。蜂屋邦夫訳では、「天地は仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人には仁愛などない。人民をわらの犬として扱う」。天地は無為自然をあらわす。人間の力の外、人間の力のおよばざるところのものである。そうすると儒教でいう聖人と道教でいう聖人とでは、その意味あいが大きくことなってくる。両者は同じく統治の術を説いたものとしても、君主がなすべきことについては正反対のやり方になろう。「仁」というのは道徳的な教えとしてはわかりやすい。ただし、その教えもとにある人為性は、日本社会では十分には理解されていないような気がする。もっとも「聖人」の意味もほとんどの場合誤解されているのだが。(130108)