農民感謝碑

平野屋新田会所跡の土蔵礎石のある所の北側に隣接している、小さな密林状態となっている場所がある。小学校のところから橋を渡ってすぐの所に石碑がある。農民感謝碑で、「明治18年と22年の大水害時に、地主高松氏や支配人による救済活動に対し、農民が感謝の意を綴った石碑」(『新田の歴史と遺産』案内マップ)という石碑。案内マップには石碑の裏面の写真が載っている。石碑表面は、道路の方からは見えないので、密林状態の中へ足を踏み込まないと表面は見えない。見えても拓本をとらないと文字を全て読むことは困難。さきほどの案内マップの説明を参考にすると、それらしき文字を拾うことはできる。石碑裏面には「明治廿五年七月」と刻まれている。「地主高松氏」の名は、坐摩神社の石の鳥居にも刻まれている。近代になっても、水害に襲われやすい土地であることがわかり、また新田会所が災害の際の救恤に役だったことがわかる。

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農民感謝碑表面

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農民感謝碑裏面