小野神社(滋賀県大津市小野)

 小野妹子の父の代から、大津市の小野が小野一族が住む土地となったようです。そしてその後、志賀の小野が小野一族の本拠地とも意識されるようになっていったようですが、それは数世代あとのことのようです。

 小野神社の駐車場の横から入ると鳥居の前にでます。

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小野神社

 小野神社は奥にある青い屋根の建物。道をまっすぐ石段を登ると、右手に見えるのは小野篁神社です。こちらのほうが建物が大きい。

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小野神社の正面

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大阪餅饅頭商組合の石柱

 神社の前には餅が左右の石の台の上に乗せられていて、手前には「大阪餅饅頭商組合」と彫った石柱があります。

 小野神社に祀られている神様は次ぎの二柱です。これからは、山尾幸久『古代の近江』(サンライズ出版、2016年)に書いてあることを要約します。

 

 小野神社は、祖先神二柱を祀る。
一、天帯彦国押人命(あめのたらしひこにおしひとのみこと
二、米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)
前者は記紀に「孝昭天皇」の皇子とされている人で、和邇臣・大宅臣・粟田臣・柿本臣・櫟井臣ら広汎な首長の結びつきを表象している。
後者は、小野臣・和邇部臣に固有の、神格化された始祖である。大津市小野に古来ゆかりをもっていたのがタガネツキ大使主命。

 

 山尾幸久『古代の近江』には、「タガネツキ」のタガネには、近江小野神社の説明板にあるように「米餅搗」と「鏨着」の二通りの解釈ができると書いてあります。タガネツキ大使主命は、小野臣・和邇部臣に固有の、神格化された始祖であり、大津市小野に古来ゆかりをもっていた、ということです。

 そして山尾氏は次ぎのように書いています。

 

 タガネツキの語は『姓氏録』に「米餅搗」(山城国皇別和邇部条」)と「鏨着」(未定雑姓 右京「中臣臣条」)との二系統の宛字がある。
現在の小野神社の祭礼(九月五日)「しとぎ(粢)祭」(粢は神に供える餅)や和菓子の神様としての信仰は前者の用字から成立してきたものである。タガネは「ひとまとめ(綰・束)」の意かという。
 後者は金属の切断や石の破砕に使う工具タガネである。鏨着が鏨衝に通じるとすれば、鉄鉱石や鉄の半製品(鉧)を小割にすることを意味する。
 どちらとも断定はできないが、中央和邇臣―近江和邇臣の社会的経済的職能(ワニは鋭い鍛冶物)から推せば、後者に惹かれる。

 

 大筋、このように山尾氏は述べています。タガネが鏨で解釈でき、この解釈を積極的に採用できる証拠がでれば面白いことは面白いのですが。なにせ比良山系も間近に見えますからね。しかし粢祭がおこなわれているように、和菓子業界の崇拝を集めている神社として知られています。