西行庵への道を進むと青根ヶ峰への分岐点にさしかかる。道標がいっぱい立っていて西行庵へはどちら方向かと確認する。青根ヶ峰は余裕があれば行こうと思っていたが、帰りの余裕はなかった。
石畳が切れるところで西行庵への道標がでてくる。左へ降りる。道は石を敷いた階段状になっている。
道は、すぐに落葉で石は見えなくなる。落葉が濡れていると滑ってあぶないだろう。
山の中腹を下っていくが、ごらんのように落ち葉で石が見えない状態になっている。右手に手すりが設置してある。使わなかったけれど、場合によっては必要かも。左手は切り開かれて植林中のようだ。
さらに進むと、西行庵のある平地が見えてくる。
平地に降りると西行庵がある。屋根は苔むして、草木が生えている。この庵は再現されたものだろう。なかを覗くと西行の像が安置してある。
木の曲がりもそのままの造りの庵で、いかにも隠棲したという雰囲気が伝わってくる。それにしても、こういうところで本当に過ごしていたのか、との思いがする。すでに秋も暮れて冬といってもいい時期なので、寒い。私には耐えられないことは確実だ。暖房はどうしていたのだろうか、などと俗っぽい思いが直ちに浮かぶ。
案内板をみると芭蕉は二度もここを訪れたらしい。「とくとく」と詠み込んだ俳句を残している。「とくとく」と落ちているらしい苔清水を見にゆく。さきほど降りてきた左手の谷の奥に苔清水はある。
竹でつくった樋が引いてあり、細いが間断なく水がながれている。「ぽつぽつ」ではなく「とくとく」と器にはたまるだろう。
この岩清水のところから、山腹をまいて戻る道があるのだが、通行禁止でロープが張ってあるので、元来た道を戻った。
ごらんのように山は切り払われて、植林がされている。おそらく一面に桜の林を造成するのだろう。ここが吉野山の奥千本の名所として今後育っていくのだろう。十年後にくれば、ここらあたりの様子は変わっているに違いない。
石畳の道のところまで戻って、あとは下り道となり、歩くのが楽になると西行庵まで来たことで満足してしまった。青根ヶ峰も義経隠れ塔も帰り道で忘れてしまった。