「かまめ立つ」

 名古屋、三重県のから、名阪国道を使って大阪方面へ抜けるときに奈良盆地へ下る急な坂道がある。その途中、奈良盆地の見晴らしがたいへんよいところがある。米山俊直『小盆地宇宙と日本文化』(岩波書店)には、その見晴らしのところを描いた文章がある。少し長いがそのまま引用しよう。

 

 東の山中から盆地底におりる名阪国道は、その途中で展望のよくきく地点から、奈良盆地を一望することが出来る。そこに立つと、私は東アフリカの断層崖(エスカープメント[escarpment])の上かから、マサイ平原を見下した光景を思い出す。その広大な広がりはほとんど乾燥したサバンナないし草原で、野獣の群れが点在しているのを遠く見ることができるのだが、大和国原を見下すこのエスカープメントから見えるのは、いまでは「かまめ立つ」海原でははく、都市化の波によって蚕食されて住宅化が進む水田地帯の景観である。そこはかつて年間数回、数種の作物を栽培し、高度に集約化された農村であった。しかし現在では、むしろ水田単作にかたよって、かつての集約性は失われてしまったといわれている。(米山、同上書、43頁)

 

 ここは「自分史少々」という項目で、見晴らしのよさを述べている。人類学者らしく、アフリカのマサイ平原がでてくるが、私はアフリカのマサイ平原には行ったことがないのでアフリカ現地の実感はもてない。それでも、名阪国道から見える奈良盆地とその先に壁のように聳える生駒山脈の眺めはすごいなと、ここを通るたびに思う。

 生駒の山は600メートルクラスだったと思うが、実際の標高以上に高く見える。盆地底とのコントラストがそのように見えさせるのかもしれない。

 上の引用文で「『かまめ立つ』海原」という言葉がある。「かまめ」? 「海原」?となるが、この言葉は『万葉集』(巻一、二)から採られている。息長足日廣額天皇の香具山に登り国見をしたときの歌。

 

 万葉集(巻一・二)に、「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」とある。

 「かまめ」と「海原」については古語ではつぎのような意味になる。

 「かまめ」は鷗(かもめ)の古名。一説、鴨。/海原:奈良時代は「うなはら」と清音。ハラは広く平らな面。ひろびろとした海。また、池についても言う。(万巻一・二を引用)(岩波古語辞典)

 天の香具山からの眺望であるから、海は塩気のある海水の海ではなく、湖水の水。それを「うみ」というのは琵琶湖をうみというのと同じ。「かまめ」は海鳥のカモメではなく、鴨(古語辞典の通りでは)ということになる。

 要するに奈良盆地には湖水、あるいは池が広がっていたということが、この歌には歌いこまれている。それがともかく重要な事柄であろう。