下鴨神社

下鴨神社楼門

 最初に下鴨神社の楼門の写真を掲げておいたが、下から歩いてきても、横から入ってきてもこの朱塗りの楼門のところにくる。神社の周りは樹木がたくさんあり、糺の森という原生林のなごりもあるから、朱の色があざやかである。いつもは高野川と賀茂川の三角州のほうから歩いてきていたが、夏だし、暑い。下鴨神社のバス停で降りて、横から入るのは初めて。

下鴨神社の案内板

 上賀茂神社があるから下鴨神社と言っているが、賀茂御祖神社という。「下鴨」というのは通称。この案内板のとなりに今はこんな石が建てられている。

世界文化遺産

世界文化遺産」と刻まれた大きな石が建てられている。世界文化遺産となっていたのかと通り過ぎる。この向かい側に手水場があって、みなさんはそちらのほうが大事なようだ。

下鴨神社境内案内図

 この案内図のhere(赤字)のところ。ここから東へ歩いていく。

朱塗りの鳥居

三井神社のところ

三井神社配置図

 いまは「三井神社」となっているが、なぜ「三井」なんだろう? と思う。山城国風土記逸文(『釈日本紀』)を読むと、蓼倉の里の三身(みみ)の社と言っていたようだ。三身というのは賀茂の建角身命、丹波の伊可古夜日女と玉依日女の三柱の神の身がおいでになる。だから三身の社という。いまはしだいになまって三井の社というようになった、とある。

 建角身命はのちの神武天皇の大和入りを先導した八咫烏とされているが、もとは奈良「葛木の峰に宿っていた」ともされていて、ようするに奈良南方の葛城の鴨族と同族である。山背の国へと移ってきた経緯も山城国逸文にはある。

三井神社

 三井神社、三つの社殿が並んでいる。真ん中に祭られているのが建角身命。ことばがなまって三井となったというのは大変古くからというが、今では三井という名称には別のイメージがつきまとうので、元にもどして三身社(みみしゃ)でもよいのではと外野からの感想。