日記

茨木カンツリーゴルフ場横の小径

左手のネットから西は茨木カンツリーゴルフ場。道の右手は林。写真は、南から北を見ている。一直線の小径が続いている。車が入ってこないので散歩道となっている。ただ横に抜ける道がないようなので、行って戻るか、大回りをして戻るかで、その結果そうとう…

茨木カンツリー倶楽部ゴルフ場

里山風景のところからもう少し歩くと茨木カンツリー倶楽部のゴルフ場に隣接する道となり、ゴルフ場を右手に見ながらの一本道となる。茨木カンツリー倶楽部は大阪で最初のゴルフ倶楽部で大正年間につくられた。創設には現在のアサヒビール社長だった加賀正太…

郡山団地の里山風景(茨木市)

郡山団地のところから林のなかを通り抜けるとちょっとした里山風景がひらける。ここらあたりはこんな風景が丘の一面に広がっていたのだろうと思わせる。散歩道に使われているようで、たまに散歩している人とすれ違った。

郡山団地から弁天下への道入口(茨木市)

茨木市の郡山団地から弁天下への道があるはずなので、地図で探しながらおそらくここだろうというところに行き着いた。ここがその道の入口。地図に照らしあわせるとここしかない。車は通行できないとある。

給水塔(郡山団地、茨木市)

茨木市郡山団地の給水塔。これはなんとも立派な給水塔。大きいので目につく。給水塔はいろんな形をした塔があって、これはこれでいろいろと調べるマニアがいる。給水塔の下の樹木は、阪神間の住宅によくある形に刈り込まれている。関東から移住したとき、こ…

郡山団地(茨木市)

茨木市の郡山団地。全国どこにでもある5階建ての鉄筋コンクリート造りの団地風景。ここは公団ではなく公社だったと思う。最初に線を引いてから宅地造成をしているので、道路、棟間の間隔など、どこでも同じような風景になってしまう(否定的な意味でも、肯定…

五色夫婦椿(椿の本陣、西国街道、茨木市)

門の外からの椿の写真はすでにアップしてある。これは門の内側で見る五色夫婦椿のようす。五種類あるかどうかはしかとはわからないが、いろんな色の椿の花が咲いているのがわかる。夫婦椿と称するものはあるが、このように沢山の色の花を咲かせる椿は珍しい…

牢屋(椿の本陣、西国街道)

椿の本陣にある牢屋。作業小屋のなかに牢屋の木組みが置いてある。椿の本陣は街道筋にあるので、宿場で問題が生じた場合、面倒を起こした者を閉じ込める牢屋も必要だった。いまの警察の留置場。本陣はこのような役目も兼ねていたという。

湯殿(椿の本陣、西国街道)

椿の本陣にある湯殿。ふつうの風呂とは違う。参勤交代では殿様が使う湯桶も運んでいたということだ。ここに桶を設置して湯浴みする。いまの旅行とは相当違う。行列が必要となってくるわけだ。

時計の間(椿の本陣、西国街道)

椿の本陣にある時計の間。時計が鎮座している。参勤交代などの場合、時間どおりに行動するというのは大変大事なことで、時間を計るというのは重要なことだったという。これは分銅が下がることで時間をはかる時計で、宿の主人が寝ずの番をつとめたと解説にあ…

椿の本陣玄関先からみた正門(西国街道)

椿の本陣の玄関先から見た正門。いまは本陣に入るところだが、出るときはこんなふうに見える。ビジネスホテルに泊まって、いつも見ている風景とはかなり違うな。旅の途中ではあるが、宿泊して出立するときの雰囲気もたいせつだなと改めて思う。

茶室(椿の本陣、茨木市、西国街道)

椿の本陣にある茶室。案内に四国丸亀藩の京極能登守から拝領した、とある。そういえば京極氏の宿泊看板も土間への入口に掲げてあった。ここで丸亀藩の名前を見るとは思わなかったが、西日本の参勤交代をする大名にとっては街道の本陣は頼りになる宿泊地だっ…

唐臼(椿の本陣、西国街道、茨木市)

土間を出て、右手の作業小屋に入ると唐臼があった。これで精米をした。これは人力だが、むかしむかしに水車小屋で水車の回転に合わせて精米をしているのを見た記憶がある。しばらくして電動モーターの精米器に代わった。お米を食べるにはいろいろと人手がか…

五連のかまど(椿の本陣、西国街道、茨木市)

椿の本陣の土間に入ったところにある五連の竈(かまど)。五つも竈が続いているのは珍しいが、古い資料には七つあったとのこと。多くの人が泊まるのでこれくらいなければ炊事のやりくりができなかっただろう。かまどをフルに使っていたときはひとびとが働い…

椿の本陣外観(西国街道、茨木市)

椿の本陣の外観。右手に馬のつなぎ環が見える。(拡大しないと見えないかも)この場所に睨み口もある。土間への出入り口はここ。内部は竈をそなえ、おつきの者たちが控える間がある。殿様が泊まるところは正門の奥の方にある。左手のほうに正門が見える。見…

睨み口、馬つなぎ環(椿の本陣、西国街道、茨木市)

土間へ入る入口のところにある睨み口と馬つなぎ環。本陣は大名が泊まるので、この睨み口で人相を確認してから中に入れると解説がついている。通常はこの土間への入口、言うなら勝手口のところが出入り口となっていた。正門から入るのはそれなりの客人(本陣…

雲龍水(椿の本陣、西国街道、茨木市)

椿の本陣にある雲龍水。古い時代の消防ポンプ。こういうものが残されている。水に関係するだけに龍の名前が使われている。

椿の本陣正門脇の椿(西国街道、茨木市)

椿の本陣の正門脇の椿。赤の椿だけでなく、白とピンクの混色の椿も見える。門の懸魚には本陣の当主梶家の家紋が入っている。

椿の本陣の正門(西国街道、茨木市)

西国街道は茨木市下井町を抜け、国道171号線を渡り、いったん街道の趣きが消えるが、勝尾寺川を渡り、宿川原町(しゅくがはらちょう)にはいると再び街道らしくなる。左手方面の広い道は郡山団地への道。いかにも古い街道らしき道を行く。右手の広い道は国道…

板塀のある家(西国街道、茨木市)

板塀のある家。西国街道だけあって、街道筋にはこのような家が点在する。茨木市下井町のあたり。ここは車の一方通行になっているので、車に気をつけながら歩く。もう少し西に進むと171号線とクロスする。

西国街道(茨木市下井町)

土手のところからいったん下り西国街道をさらに進むとこんなところが。茨木市下井町にさしかかるあたりだ。「南無阿満陀?法界」と刻まれた石柱がある。「?」は「佛」かなとも思うが私には写真では読めない。現地で確認しなかった。左手に石ころが二つころ…

西国街道から見た勝尾寺川(茨木市)

中河原から西にむかって歩くと、すこし登り坂になってくる。勝尾寺川の土手のところに至る。写真は箕面の方面を見た勝尾寺川。川は写真でいうと手前の方に流れている。

中川清秀由緒地(西国街道、茨木市)

西国街道中河原の道標のちかくに、中川清秀由緒地の石柱が立っている。中川清秀は中河原の生まれとされている。また中川清秀は茨木城の城主ともなった。このようなことはまったく知らなかったが、ここに来てはじめて中河原の地の歴史を知る。国道171号線を利…

中河原道標西(西国街道、茨木市)

西国街道の中川原道標。西の方向。遠くは姫路から神戸、池田、岡、箕面山と、現在の鉄道や国道の感覚での地名とは違うところが面白い。箕面も「山」がついている。西国街道と交差するのは「旧亀岡街道」。東西と南北の街道がここでクロスしていた。

中河原道標東(西国街道、茨木市)

西国街道の中河原にある道標。東の方面の案内。大津から近くの芥川までの里程が記されている。ここは北方の街道と交差するところでもあった。近くに平和堂があり、阪急阪神グループのバスの拠点がある。

宮田遺跡(高槻市)

春日神社の東側に看板が見えたので立ち寄ると宮田遺跡の案内だった。平安時代から鎌倉時代の遺跡で、条里制にのっとった村落があったという。興味深いことに屋敷墓があったと書かれている。富田あたりは大阪湾の方向からすると少し高台になっているので、集…

春日神社社殿と百度石

春日神社の社殿とその手前にある百度石。社殿もコンクリート製で新しいが、この百度石も新しく設置されたもの。ある企業の寄付だったと思う。百度石があるということは、願をかける人がいるということだ。それで人がくるので境内がきれいに維持されていると…

春日神社(西国街道の近く、高槻市)

この日の西国街道歩きも疲れてきたので、右折してJR摂津富田駅の方向に向かう。左手に春日神社がある。高槻市の町名でいうと今城町のところになるのか。境内はきれいに掃除がしてある。社殿はコンクリート造りで、再建されたもののようだ。狭い道だが、鉄道…

西国街道氷室三丁目交差点(高槻市)

茨木市太田の西国街道を歩いてゆくと、この少し手前から高槻市に入る。高槻市氷室三丁目と宮田町二丁目の境目あたりにある交差点。西国街道は「和菓子処」の左手の細い道がそれ。右手のほうにスーパー・マルヤスが見える。車が通る広い道は富田駅のほうへ行…

継体天皇三島藍野陵(西国街道、茨木市)

太田公民館から西国街道に戻り、少し北へゆくと古墳の正面への道がある。ここには宮内庁の高札があり、「継体天皇三島藍野陵」と書いてある。太田茶臼山古墳は継体天皇陵とされてきた。それだけ大きな古墳だが、近くには今城塚古墳という大きな古墳もある。…