怪物を内にかかえた存在

 プラトンの学説に魂の三区分説というものがある。人間の魂は理性、意志、欲求の三部分にわかれており、理性が欲望を適切に制御し、三つの部分が調和するのが理想である。ところで、理性はそれほど簡単に欲望を抑制できるのだろうか。プラトンは『国家』のなかで、人間の魂についての似像(にすがた)をつぎのように描いている。大昔の物語に出てくるキマイラ、スキュラ、ケルベロスのような怪物、ほかの動物の姿とむすびついた怪物、それらがあわさった複雑で多頭の動物の姿を一つつくり、それとは別にライオンの姿を一つ、人間の姿を一つつくる。これら三つをひとつに結び上げ、癒着させ一つの生き物にし、それの外側と人間の形にする(人間の皮をかぶせる)。外側からは人間のように見えるが、内側には奇怪な怪物やライオンを内にかかえこんでいるのである。内なる人間(理性)はとんでもない怪物、ライオンを相手にして、統御しなければならないのである。複雑怪奇な動物とライオンにえさをあたえ強くし、動物たちが互いに食い合いをするようになれば統御どころではない。人間がこのようなものであれば、理性はとんでもない重い役割を要請されることになる。理性的な人間になるのは容易なことではなく、すべての人々が理性的であるというのはほとんど絶望的なことになってしまう。プラトンの理性中心主義は批判されることが多いが、人間の怪奇さを見、また理性の困難さを踏まえたうえでの「理想」でもあった。(121120)